ユヌス・エムレ(註)を記念する9回目のフェスティバルが、マニサのクラ郡にあるエムレ村で行われた。フェスティバルでスピーチをしたビュレント・アルンチ前国会議長は、ユヌス・エムレフェスティバルの全てに参加したと述べ、今後も参加し続けるつもりであると語った。
アルンチ氏は、世界でユヌスを知らぬ者はいないと述べ、「彼は心の人です。彼の心から生まれたものごとは、今日まで到っています。私たちは500年と言い、皆さんは1000年と言われるでしょう。[それくらい長い間]この大地の上には、いまでもユヌス・エムレの足跡が鮮やかに残っています。彼が述べたことは広く語りつがれています。黄色の花から楽園の小川まで、誰もがこれらを知っているのです」と述べた。
ユヌス・エムレのために、クルシェヒルのウルプナル地区とアクサライにある墓地でもそれぞれ記念式典が行われた。
註:ユヌス・エムレ(1239?-1321?)
トルコの最も重要な詩人の一人とされる。その生涯の詳細は不明だが、神秘主義教団で修行を行ったスーフィーであり、作品にもその影響がうかがえる。また、同時代人であるメヴラーナ・ジェラレッディン・ルーミー(1207-73)をはじめとして、ペルシア語による宮廷詩が隆盛な時代に、トルコ民衆の生活を、彼らの言葉であるアナトリア方言のトルコ語で表現した作品は、多くの人々に愛された。それは本記事のように、彼の出生地、または墓地であると主張する複数の人々(村々)が存在し、記念式典が各地で催されていることからもうかがえよう。
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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:11817 )