イラク・アル=カーイダ情勢並びにシリアにおけるイマーム殺害事件
2007年09月29日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■ アル=カーイダに打撃
2007年09月29日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP1面
【バグダード:諸通信社】
イラク多国籍軍は土曜(29日)、バグダード南部の空爆により、外国人戦闘員を率いていたイラク・アル=カーイダ指揮官を殺害したと発表した。
ジャナーフ・ハムード多国籍軍広報調整官は概要を以下の通り述べた。
「米軍は、バグダード南部アル=ムシーブ地区で、アブー・ウサーマ・アル=トゥーニシーと呼ばれるアラブ国籍のアル=カーイダ指揮官の1人並びにその補佐官2名を殺害、他2名を拘束した。彼らは同地区の一定の建物に集結しており、米軍のF16機がその場を空襲した。」
「アル=トゥーニシーは、イラク・アル=カーイダ幹部アブー・アイユーブ・アル=ミスリーの一味で彼の親戚でもあった。殺害は、彼の所在を示す情報を元に実行された。共に殺害された2名は、トゥーニシーの副官と思われるブー・アブドッラー、武器及び外国人戦闘員のイラクへの流入に便宜を図っていたアル=カーイダの中心的幹部アル=シェイク・フサインである。作戦実行中に拘束された他2名が上述3名の死亡を確認した。」
金曜、ジョゼフ・アンダーソン駐イラク米軍司令官は、多国籍軍が火曜(25日)にイラク・アル=カーイダの新たな司令官となる用意をしていた中心的人物を殺害、彼はバグダード南部の死のトライアングルとして知られる地区の軍司令官であったと述べている。
イラクからペンタゴンへのビデオ会見で、アンダーソンは記者団に対し、バグダード南西部で行われた作戦で殺害されたのはアブー・ウサーマ・アル=トゥーニシーと呼ばれる人物である事を確認、同作戦は「イラクでの対テロ闘争における重要な成功と言える。同地で外国人戦闘員の活動を調整していた人物を失ったのはアル=カーイダにとり大きな損失である」と述べた。
アンダーソンによれば、チュニス国籍のアブー・ウサーマは、「イラクの外国人戦闘員指揮官で、昨年8月末に殺害されたメソポタミア・アル=カーイダ司令官アブー・アイユーブ・アル=ミスリーの身内的サークルの出身」、「2004年1月以来バグダード南西アル=ユースフィーヤ地区で活発に動き06年夏に指揮官に昇格、同年6月に起きた米兵拉致事件は彼の一味によるもの」。
また、アンダーソンは作戦詳細として以下を明らかにした。
「駐イラク米軍は今月25日、トゥーニシー他のアル=カーイダ人員がアル=ムシーブ地区近辺に集結するとの情報を得、F16による攻撃を行った。結果として、死亡者の中に、バグダード及びキルクーク南部の新司令官となったトゥーニシー、イラク・アル=カーイダ調整官のシェイク・フサインらがおり、現場に居た他2名を拘束した。」
「トゥーニシーの所持品から、「包囲され絶望している」と記したメモが発見されたが、これは、組織の他の人員と連絡を絶たれた彼が援護も指令も得られなかった状況を示すものと思われる。」
他方、シリア北部の街アレッポのハラブ・アル=ジャディーダでは、アル=アイマーン・モスクのイマーム(礼拝指導者)で、アブー・アル=カアカーアとして知られるマフムード・クール・アガーシーが殺害された。
目撃者によれば、イラクの米軍と戦えという呼びかけで知られていた同氏は、金曜礼拝を終えてモスクを出たところで、無蓋の小型トラックから降りてきたガンマンにより腹部と頭部に銃撃を受けた。ガンマンには他数人が同行していた。アブー・カアカーアの随員が犯人の1人を取り押さえたが、他は逃走した。
危篤状態のままアレッポ市内のアル=シュハバー病院へ運び込まれたアブー・カアカーアは、病院筋によれば数時間後に死亡した。また、発砲により同氏と共にいた3名が負傷した。
アブー・カアカーアは2005年初めにイエメンに旅立ち、約1年前シリアへ戻ると、宗教的若者を構成員とし、ジハード(イスラム聖戦)的呼びかけを行う「シャームの異邦人」という組織を設立した。アレッポで同イマームは、イラクにおける米軍と戦う必要性を説いたカセットテープやCDにより名が知られていた。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:12045 )