民主市民党クルトゥラン議員の夫ピロ・サルマンは、新婚4日目に山岳部隊へ
2007年11月08日付 Hurriyet 紙

PKK (クルド労働者党)から8人のトルコ軍兵士の引渡しを受けた民主市民党(DTP)のファトマ・クルトゥラン議員の夫で、「ピロ」というコードネームをもつサルマン・クルトゥランが、新婚4日目にPKKの山岳部隊に参加していたことがわかった。親族は、ファトマ・クルトゥラン議員が国会議員になるまでは北イラクに夫を訪ねていたと話した。

民主市民党のファトマ・クルトゥラン議員が離婚し、何年も音信不通であると主張する元夫、サルマン・クルトゥランは、1962年12月20日 にカフラマンマラシュ県パザルジュクのサルマヌパク村で生まれた。7人兄弟だった。父親のムーサ・クルトゥランは、村の名前の由来であるサルマヌパク廟の守衛で、息子に廟の名前をつけた。

先祖は1900年代にマラトゥヤ県アルグヴァンから移ってきた。貧しい守衛のムーサが、サルマンをパザルジュク高校へ入学させたとき、彼がその後PKK党員になったとは知らずにいた。1981年に、カフラマンマラシュ県でサルマンが逮捕され、「国家の憲法秩序を乱した」罪でアダナ刑務所に6ヶ月服役するまでは。

サルマンが釈放された後の行動について知られているのは、1999年1月1日にハタイ県ドルトヨルでの「テロ組織の一員」である罪にとわれ、アダナ第1国家治安裁判所の欠席裁判で出された逮捕の決定がある。セルマンの組織内でのコードネームは 「ピロ」。サルマンの二人の弟はベルリンに、一人は村も、もう一人はカフラマンマラシュ県のナルル郡で暮らしている。母親と3人の兄弟はメルスィンのメンテシュ街区に住んでいる。

■結婚の後
サルマンとファトマ・クルトゥランは、いとこ同士だ。ファトマもパザルジュク高卒で、サルマンよりも2つ年下だ。1992年に二人は結婚した。彼らをよく知る人たちは、サルマンが結婚の4日後に山へ入り、欠席裁判で逮捕の決定が出された後、ドイツへ渡ったと話す。セルマンの姉ゼイネプの息子ムーサ・クルトゥランもPKK党員であったが、1997年に抗争で死亡した。サルマンは、ヨーロッパのPKKと北イラクのPKKの間の調整業務につけられた。ファトマ・クトゥランは、ドイツからたびたびサルマヌパクやメルスィンの親戚を訪れた。

■確実に結婚している
ファトマとサルマンの親族は、二人が離婚したという主張を否定する。明確な言葉で二人が結婚しているといい、ピロ・サルマンが北イラクでPKKの「財務長官」であるという。「彼はPKKでとても重要な人物となっている。ファトマも国会議員に選出されるまでは、北イラクにいる夫を訪問したものだ」と話す。

■張り紙で指名手配
セルマン・クルトゥランは、写真つきの張り紙で指名手配されている。アダナ第6重罪裁判所では、9年もの間、量刑を重くされた終身刑が求刑され、欠席裁判が行われているクトゥランは、1997年から1999年の間、ハタイのアマノス山脈で作戦行動に参加した。クルトゥランは北イラクへ移っており、現在そこにいることも明らかにされた。

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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:12384 )