飛行機事故犠牲者の葬儀で、遺影を裏返しに -遺影はイスラームに反する行為?
2007年12月04日付 Radikal 紙

ボアズィチ大学のエンギン・アルク教授の葬儀で、イマームは棺の前に置かれた遺影を裏返した。イスラーム神学者の見解によると、遺影に礼拝するのではないのだから、このようにする必要はないとのこと。

ウスパルタでの飛行機事故で亡くなった客室乗務員ミュミネ・ブルトゥの一昨日の葬儀で、イマームは参列者の襟に付けられていた彼女の写真を外すようにといった。ボアズィチ大学物理学科のエンギン・アルク教授の昨日の葬儀の礼拝においても、モスクのイマームは棺の前に置かれた遺影を裏返したのだ。

飛行機事故で亡くなった57名のご冥福をお祈りする一方、昨日イスタンブルのボアズィチ大学の中庭に安置された二つの棺は悲しみを誘うものであった。エンギン・アルク教授と彼女の助手のオズゲン・ベルコル・ドーアン氏の遺体は昨日埋葬される前に、最後にボアズィチ大学に運ばれた。トルコ国旗に包まれた両氏の棺はアルバート・ロング・ホールの前に作られた壇に安置された。トルコ物理学会会長のバーキー・アックシュ教授は、同じ飛行機で亡くなった6人の科学者が、「トルコ加速器センター・プロジェクト」でともに働いていたこと明らかにし、このプロジェクトを手に手を取って実現しようとしていたと語った。スイスにある原子力研究センターであるCERN(欧州原子力核研究機構)で「cast」実験のリーダーであるコンスタンティン・ズィオウタス教授はトルコ語で「運命には逆らえない」と語り、アルク教授を完璧な人間として決して忘れないと述べた。

■陰謀説への反発

葬儀ののち、アルク教授の遺体はエティレル・モスクに運ばれた。葬儀には同じ学科で教授を務める夫のメティン・アルク教授と、息子のヤヴズ、娘のヤセミンさらにその他の家族、さらには同僚や学生らも参加した。ある友人は「一緒に、休まず48時間研究したことを覚えている」と語った。さらに別の友人も、天使のような人であったと説明した。10年もの間アルク教授の研究に加わっていたビルゲ・デミルキョズ準教授は、マスコミでささやかれている陰謀説に強い反発を示した。「このような陰謀説を聞いて、先生は悲しんでおられる。彼女は、彼女のプロジェクトにより、そして一人の科学者としての努力により思い出されるべきだ。彼女は様々なプロジェクトを実現させるため無給で闘ってきた。国の様々な役所を回り、プロジェクトへの支持をお願いしていた。とても疲れていたが、学生たちの情熱を失わせないためにも、こうした苦労については一言も愚痴をこぼさなかったものだ。
CERNプロジェクトにともに関わっていたサリフ・スルタンソイ教授も、アルク教授の闘いを「単に学問だけではなく、研究チームを組織化する任務をも負っていた。しかし官僚主義があらゆることにおいて障害となっていた。最後にやっとプロジェクトを支持してもらえた時に事故が起こったのだ。

■遺影が裏返された

アルク教授の妹のエリンチ・アタギュルさんは、トルコ国旗に包まれた棺の前に置かれた遺影に抱きつき、キスをしながら、「彼女は母のようだった、私を決して一人ぼっちにはしなかった。私にとって安らぎの天使だった」と小さな声でいった。夫であるメティン・アルク教授は手で棺を撫で、長いことじっとその棺の端に置かれた遺影を見つめていた。葬儀の礼拝が始まる前に、モスクのイマームは棺の前に置かれた遺影を裏返した。客室乗務員のミュミネ・ブルトゥの一昨日の葬儀でも、イマームは、参列者の襟に付けられていた彼女の写真を外すようにといった。マルマラ大学神学部のサーイム・イェプレム教授はこうした行動を次のように解釈した。「イスラームにおいて、遺体のそばに遺影を置くか置かないかに関して、こうしなさいという決まりはない。遺影を置くのは最近広まった習慣である。つまり遺影を置く人には、遺影を拝むとか遺影のために礼拝するといったような意図はない。このような考えがないなら、イスラームの教えに反する行為(遺影を置くこと)も問題ではない。イマームはここで率先して、遺影を見えないようにしたらしい。」

オズゲン・ベルコル・ドーアン氏の遺体もマルマラ大学の神学部モスクで行われた葬儀での礼拝ののち、ウムラニエに埋葬された。

■マニサでも悲しみが

妊娠している妻に会うためにウスパルタへ向かう途中、飛行機事故で命を失った32歳の薬理学者のアルプ・テズジャン氏も、昨日マニサのアクヒサール郡で埋葬された。

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( 翻訳者:石丸由美 )
( 記事ID:12594 )