コラム:レバノン政治体制、与野党の攻防
2007年12月12日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ レバノン:非常事態体制か、体制変更か?
2007年12月12日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP論説面
【イサーム・ナアマーン博士】
レバノンの危機は続いている。独立以来、その政治体制は危険と抱き合わせであり、過去と同じく現在も、レバノンは「移行期間」にある。政治システムが国の存在を脅かす事が明らかとなったため、延々と続いている非常事態体制から、そのシステム変更へと移行するための期間である。いつ、この移行期間は終わり、レバノンの人々のための政治体制が最終的に出来上がるのだろうか?
支配的政治層のエリートから成る3月14日勢力は停滞している。彼らは2006年半ばのイスラエル・レバノン戦争の終結時に、国内権力闘争の土俵から脱出すべきであった。しかし、ゲームに参加しつつ同時に審判もしている合衆国が撤退を許さず、徐々に兵を失って弱っていく彼らに留まる事を強要した。そして現在、権力闘争ゲームは分岐点に達したようである。合衆国が、新たな大統領、あるいはチームメンバーをもたらし、3月14日勢力を救済する事に成功するか、さもなければ、合衆国がゲームを1週間、あるいは1ヶ月、もしくは1年の間、停戦とする。つまり、権力闘争ゲームが移行期間にある。危機がどれだけ長く続こうとも、最終的には制される。ゲームに破れ疲弊したチームを撤退させ、ゲームのルールを変更し、新たなプレイヤーを投入する事によって。
フワード・アル=セニョーラ、あるいは彼の同類を与党の長として維持しようという合衆国の試みが、現在の闘争の焦点を成している。ミシェル・アウンが大統領になってしまわないよう、彼を権力の外に留めておきたい。合衆国が納得する案として、ミシェル・スレイマーンを名目的に大統領として、セニョーラかその同類を実質上の長として残すというものがある。
アウン、ヒズブッラー及び野党の大多数はこの取引を拒んでいる。野党は、1年4ヶ月前の第二次イスラエル・レバノン戦争の終結をもって、与党がゲームのグラウンドから出る事を期待していた。しかし合衆国は、ヒズブッラーが戦争に勝ち、3月14日勢力が権力闘争に負けるなどというレバノンを見過ごす事ができなかった。イミール・ラフード大統領の退場を待っていた合衆国は、これで、セニョーラとその仲間達により、合衆国自身が決めるルールに都合よくゲームを持っていけるだろうと考えていた。ところがアウンは、ラフードの退場に影響されなかったばかりか、その連帯者らと共に守勢から攻勢に転じ、グラウンドでもテレビ画面でも、周囲の支持を取り付けて見せた。アブドゥ・サアド統計情報センターが、その地区のキリスト教徒の間で行った調査によれば、64%がアウンを支持している。
合衆国は立場を固持し譲歩しない構えである。アウンとヒズブッラーに代表される野党反体制勢力もまた自分達の立場を崩さない。つまり、危機は長引き、セニョーラの手にある非常事態体制が存続する。ブッシュ政権は、今後否定的要素が倍増するとは考えていない。野党勢力も、半端な形でセニョーラを長とする寄せ集め政府に戻るよりは、現在の非常事態体制が長引く方が好ましいと考えている。
非常事態体制を改善する方法は恐らく2つある。1つは、ワシントンそしてリヤドが、セニョーラあるいはサアド・ハリーリを諦め、独立した個人、もしくはハリーリ・グループの中からならば中立の人物と置き換える。それと引き換えに、2、3年の間ミシェル・スレイマーンを大統領とする。その後、2009年春の国会議員選挙を経て新たな国会が開催された時に、新大統領を選出する。その際、スレイマーンも大統領候補としての権利を与えられる。もう1つは、ワシントンとリヤドが、ミシェル・アウンを2、3年間の大統領として認め、その代わり政府はハリーリに委任するというものである。そして、やはり2009年春をもって、この体制を終わらせる。
どちらにしても、とりあえずの平穏は得られる策である。しかし、現実に即し、均衡の取れた決着をつけるには不十分であろう。真の安定に至るには、まず与野党が合意して、移行期間中に、ターイフ合意(1989年10月サウジで開催されたレバノン国会による国民和解に向けた合意、内戦終結の契機となった)が定める改革を実施しなくてはならない。それらの改革の主要なものは、上院の創設、国会議員の選出を宗派別に行わないようにする等、国民を公正に代表する制度の基礎を作る事を目指している。改革が行われれば、憲法に則した範囲内で権力構造の再編が行われる事となる。
この基礎的な改革なくしては、長らく続きレバノンを国家不在としてきた危機を終わらせる目処は立たない。我々がレバノンに見るものは国家ではなく、支配層、各宗派の頭目、ビジネスリーダー、軍や諜報機関のトップが、彼らの間で利権を分け合うための制度である。レバノンの危機とは、実は、独立以来力を握ってきた政治支配層による危機である。彼らの汚職、悪政、不徳が、国の統一を妨げ、公的機関を麻痺させ、国民経済を破壊して500億米ドルに達する公的債務を抱えさせたばかりか、国を内戦に陥れた。
この危機を終わらせるには、彼らを権力と経済構造から切り離すべきである。野党勢力は、その大部分が伝統的な支配層の外の出身であり、彼らが腐敗した宗派体制にゲームを仕掛けるというのは、以前では考えられなかった。国内の社会経済的停滞から、対外的にはブッシュ政権に従属する政策まで、全てに責を負う支配層に対抗するため、新たな政治社会的手段が用いられても良い頃だ。国民会議を組織し、中央と地方の連絡指揮系統を整え、政治経済改革プログラムを設定するなどして、野党がその力を高めるべき時期は今ではないだろうか。
野党は、与党に対抗する事のみにエネルギーを費やすべきではない。同時に、与党との取引により、従来の政治支配層のやり方に結局組する事になるのも避けなくてはならない。そうなれば、膨大な時間を無駄にしたことになり、危機は終結せず、結果として一般国民の負担が増すばかりである。また、野党指導者らは、過去には有り得なかった歴史的機会が存在する事を念頭に置き、それを良い方面に活用すべきである。その機会とは、国内で争う勢力間、そして、レバノンを含む地域で争う勢力の間でも、これまでになく力が拮抗しているという点である。国内では、野党側にやや有利に傾きつつも、与野党勢力はほぼ同等の力で綱引きをしている。域内では、国民国家勢力と解放イスラム勢力が、各々イラン・シリア路線、米イスラエル路線と連携しつつ引き合っている。そして、事態は前者(イラン・シリア)に有利に動いている。
野党は、自身に与えられたこの機会を逃さず、危機の泥沼から脱し歴史的解決へと向かうべきである。それによってレバノンが、法の支配、自由と公正を礎に、民主的文明的な国家を創立できるように。そして、シオニズムとアメリカの覇権に対抗して諸国民が団結できるように。
非常事態体制とは、一種の悲喜劇である。政治システムの変更が求められている。レバノンの人々が、自分たち自身の命運を賭けるのはいつだろうか。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:12652 )