元外相イスマイル・ジェム死去
2007年01月24日付 Zaman 紙

 元外相イスマイル・ジェムは、がん治療のため入院していたイスタンブル大学外科病院で人生の幕を閉じた。
イスマイル・ジェムは、肺の感染症のため2006年12月26日にイスタンブル大学外科病院に入院したが、今朝(24日)9時50分に亡くなった。

2007年1月15日、ジェム元外相の容態が悪いという報道に対し、娘のイペック・ジェム・タハさんと息子のイフサン・ケリム・ジェムさんは、父親の状態は悪くなく、化学療法を受けるため、入院して医師の指導に基づき治療を受けていると病院でメディア関係者に語っていた。さらに、会見の終わりには、父のために皆に祈って欲しい、と話していた。

父イフサンと母シェリフェ・ジェム夫婦の息子イスマイル・ジェムは、1940年イスタンブルで誕生した。1959年にイスタンブルのロバート・カレッジ〔注:現ボアズィチ大学〕、1963年にローザンヌ大学法学部を卒業。1981年にパリ政治学院で政治学の修士号を取得した。1963年以降様々な新聞の編集長、出版局長を務めた。

元外相は1971-1974年にトルコ新聞記者労働組合イスタンブル支部で支部長を、1974-1975年にはトルコ・テレビ・ラジオ協会の会長を務めた。1987年と1991年の選挙ではイスタンブル、1995年の選挙ではカイセリ選出の国会議員となった。1966年に民主左派党(DSP)会派の運営委員会の委員に選ばれた。
欧州評議会議員会議の議員と西欧同盟(WEU)の委員、欧州評議会議員会議の社会主義会派の会長を務め、1966年に欧州評議会議員会議とWEUのトルコ議員会派の会長に選ばれた。ヨーロッパ・メディア研究所諮問委員会の委員を務めた。1995年の第50代内閣の文化相、1997年6月30日に組閣された第55代内閣では外相に任命された。

イスマイル・ジェムは、DSPを離党後に新トルコ党に入党し党首に選ばれた。共和国歴代4位の外相在職最長記録を持つ。トルコ大国民議会の第18,19会期にはイスタンブル、第20、21会期にはカイセリ選出の国会議員を務めた。妻と2人の子供がいた。

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:4439 )