ブルガリアからのトルコ系移民—EU市民権を得るも私財の権利は? (Yeni Safak紙)
2007年01月08日付 Yeni Safak 紙
1989年にブルガリアでの圧政から逃れた際に、土地と財産を没収されたトルコ系移民が、不当な扱いが撤回されないと非難した。70万人の移民は、キプロスのロイジドウ裁判を例に出して、必要とあれば、欧州人権裁判所に裁判も起こしうるとの見解を示している。
ブルガリアが2007年1月1日にEUに完全加盟したことを受けて、1989年にブルガリアからトルコに移住せざるを得なかった凡そ70万人のトルコ系移民にとって、新たな展開が話題となった。1989年にトルコ-ブルガリア間にいかなる相互移民協定も結ばれなかったために、国籍を剥奪されなかったブルガリア出身のトルコ系移民は、EU市民権を得るという幸運に恵まれて喜ぶ一方で、相続権は剥奪され、土地と財産が没収されたと述べている。
これに関してキプロスのロイジドウ裁判(の問題)を例に持ち出したブルガリア出身のトルコ系移民は、自分たちがそれと同じような状況に置かれていることを明らかにして、必要とあれば、欧州人権裁判所へ訴える方法もある、と述べた。
■ 強制改名は継続中
ブルガリア国籍を維持しているトルコ系移民たちがパスポートを取得しようとする際に、ブルガリアによって難題が出される。1989年以前に、強制改名や、不当逮捕、財産没収といった強制措置に耐えられずにトルコ共和国に逃げたトルコ系移民たちは、今回もブルガリア国籍の権利を活かすためおこなった申請で差別を被った。
ブルガリア・トルコ人デリオルマン地域文化協会会長で、バルカン協会連盟の代表であるフィクリ・グダック氏は、ずっと以前に改名させられたトルコ系移民は、登録上、現在もブルガリア風の人名で記載されていることを明らかにし、「トルコ系移民は、強制的に付けられたブルガリア風の名前を変更せずに(申請した)場合には、簡単にパスポートを取得することができる。しかしトルコ風の名前で申請した場合には、理不尽な理由で申請が妨害されようとしている。私が撮った写真には、私の耳が写ってなかったために、すべての申請の手続きを再びやり直さざるを得なかった」と述べた。
■ 我々も欧州人権裁判所へ行く
ブルガリアでは、少数のトルコ人に対して強制措置を行った旧体制は一掃された。しかし、トルコ人に対する相続権の剥奪、土地や財産の没収、強制改名といった不当な扱いの撤廃のため、ブルガリア当局は今まで何もしてこなかった。
フィクリ・グダック氏は、ブルガリアの検察は、旧体制時のメンバーであるのが明確であっても、まったく裁判を起こしていないのを明らかにした。キプロスのロイジドウ裁判を想起させたグダック氏は、「同じ状況が我々にとっても当てはまる。やつらはすべてのものを没収し(たのだが)、文書館が焼き払われたために、我々の土地登記証書はなくなった。我々も欧州人権裁判所に裁判を起こすことができる」と述べた。同氏はトルコ政府もブルガリアからの移民の権利のために協力するよう望んだ。
グダック氏は、移民はブルガリアに戻ることを考えていないが、EUの福祉、教育のような社会基盤の享受を望んでいる、と述べた。同氏はまた、ブルガリア出身のトルコ系移民はヨーロッパ諸国に就労に赴かないであろうとし、「ビジネスマンは投資のため、EU加盟で生じる権利を活かすこともあろう」と述べた。
二重国籍を持つブルガリア出身のトルコ系移民は、ドイツのように将来ブルガリアも二重国籍を規制する状況になったら、躊躇なくトルコ国籍を選択するであろう、とも述べた。
(中略)
■ EU市民権のために積極的行動へ
1989年にトルコとブルガリア間でいかなる相互移民協定も結ばれなかったために、国籍を剥奪されなかったブルガリア出身のトルコ系移民は、ブルガリア政府からパスポートと身分証を取得するため、申請に着手した。トルコ国籍に移ったブルガリア出身の移民は、アンカラ(の関係機関)に渡した以前の身分証とともにパスポートの申請ができるようになる。
しかしブルガリア政府はブルガリア国籍の権利を89年の移民にしか認めていない。1968年から78年にかけてトルコに移住した人たちは、「離散家族の集合協定」によりトルコ国民であるため、ブルガリア国籍を取得する権利を失った。89年の移民たちのトルコで出生した子どもも、申請した場合、ブルガリア国籍に移行可能である。
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( 翻訳者:山本裕一 )
( 記事ID:4307 )