サルコジ仏大統領の大叔父はガラタサライ出身、オスマン帝国下で反逆罪の疑い
2007年12月28日付 Milliyet 紙
ギリシャの資料から、仏大統領サルコジ氏の大叔父がトルコガラタサライ高校出身で、オスマン帝国下で「国家反逆罪」を求刑されていたことが明らかになった。
ギリシャ外務省資料室の文書が仏首相ニコラ・サルコジの過去に光をあてている。ミッリエト紙が同資料室で発見した文書によると、サルコジ大統領の祖先はサロニカ出身のユダヤ人で、彼のガラタサライ高校出身の大叔父が、オスマン帝国によって「国家反逆罪」容疑で死刑を求刑されていたことが明らかになった。
ギリシャ外務資料の、ギリシャのユダヤ人の歴史に関する一冊に次の情報がある。すなわち、サルコジ大統領の大叔父でガラタサライ高校出身のアシェル・マッラー・エフェンディはサロニカにおいて大規模な政治活動を行い、オスマン帝国によって「国家反逆罪容疑」で裁判にかけられ、またついには検事によってアシェル・マッラーに死刑が求刑された、という。
文書資料によれば、アシェル・エフェンディはこの裁判では無罪となり、政治活動を続けたようである。アシェル・マッラー・エフェンディはサロニカがギリシャの統治下となった後、1929年4月29日エレフテリオス・ベニゼロスの党から5202票を得て上院議員に選ばれた。
アテネで最近発行された『ニコラ・サルコジのサロニカ』という本もアシェル・エフェンディの当時の写真を載せている。同書によると、サルコジ家の父方はハンガリーから来た家系であり、オスマン帝国軍と戦い戦死したミハエル・サルコジという名の親戚もいたという。
本は興味深いことに以下のように語っている。「歴史というものは時としてなんと奇妙なものだろう。一方から見れば、オスマン帝国によって家族に大きな特権を与えられたギリシャ系ユダヤ人の孫であり、別の方向から見れば先祖たちがトルコ人に反逆したハンガリー人の息子でもある。そして彼本人は4世代の後、トルコ共和国のEU加盟に断固として反対しているのだから!」
『サルコジのサロニカ、私はギリシャ人の孫である』という題の本は、サルコジ大統領の祖父ベネディクト・マッラーが、サロニカ出身で、若い頃フランスへいき医者となり、1972年にパリで亡くなったこと、サルコジ家がもとはユダヤ人だったということを(彼自身は)そのときに知ったということを伝えている。
遺産相続のためイスタンブルを訪問
サルコジは1973年に高校を修了するやいなやイスタンブルとサロニカを訪れている。目的は、郷愁に駆られたことと祖父の遺産の取り分を得ることであった。
ニコラ・サルコジは、サロニカで町の有名な貴金属店の所有者であった祖父たちの遺産を得るため、公証人や銀行と壮絶な戦いを繰り広げたという。サルコジは結局関係者をときふせ、4千フランを得た。 (当時のギリシャは)外貨持ち出し禁止だったため、サルコジは、遺産金をジャケットの裏地にぬいつけて隠し、国境をこえた、という。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:12829 )