アンカラ、スヒイェ広場で行われたデモへの参加者たちは、トルコ国旗だけを掲げた。
演説者は政権を批判する一方、デモに参加した国民は政権への批判と世俗主義擁護を訴えて国会に圧力をかけた。
トルコ大国民議会において、大学でのスカーフ着用解禁のための憲法改正案に最終投票が行われるなか、1キロメートルほど離れたスヒイェ広場では抗議デモが行われていた。
ほとんどが女性団体である76の市民団体によって計画された「自立と世俗主義集会」には何万人もの人が参加した。デモ参加者の多くは女性と子供で、参加者総数は、警察の発表では、2万5千から3万人であった。
■ サルハン:憲法はスカーフに「NO」と言っている
集会に参加するために早朝、イスタンブルやイズミルをはじめとして、その他全国から150台ものバスでやって来た参加者らは、スヒイェ広場を埋め尽くした。音楽家サードゥク・ギュルブズのサズの音色とともに10周年マーチが歌い上げられた。
興奮した聴衆に向かって演説した共和国女性協会のシェナル・サルハン会長は、憲法がスカーフで覆われようとしていると訴えた。先週アタテュルク廟で行った222-A集会について言及したサルハンは、「これで終わりではありません。法的プロセスも民主主義的プロセスも続けられていきます。我々の原則を絶対死守しなければなりません。この議論は共和国の是非をかけた闘いです。」と述べた。
カナルチュルクのオーナーであるトゥンジャイ・オズカンは集会で演説し、国会にスカーフ解禁のための憲法改正案を提出し、同意したものたちは、トルコ共和国法第309条に基づいて祖国への裏切りで裁かれるだろうと主張した。6千人の警官隊が待機した集会は、何事もなく終了した。集会の終了後、組織委員会は警官隊に対して感謝した。
■ 礼拝時間に静寂
・ スヒイェ広場に向かう道が完全に交通止めになり、広場の周りでは多くの行商人たちがトルコ国旗やトルコ国旗付きのベレー帽、バンダナなどを売り、関心を引いていた。
・ 集会場では市民団体組織のすぐそばに軍関係の団体なども参加していた。
・ トゥンジャイ・オズカンの演説で壇上に招かれたメルスィン出身のナーイレという高齢の女性は、「アタテュルクの原則に私は従います。シャリーアをトルコに持ち込もうとする者たちに打ち勝たなければなりません。」と話した。スカーフを被っていないナーイレ婦人は、「私は額を出しています。何もやましいことはありません、恥ずかしいことなどありません」と語った。
・ チャンカヤ市長ムザッフェル・エルユルマズは集会に全面的な支援を行い、市の警備担当者が演壇を取り囲んでいた。
・ 正午の礼拝のためにアザーンが詠まれると、参加者にスローガンを叫ぶのを控えるようにとのアナウンスが壇上から流れた。この間は壇上の演説は行われなかった。
・ 多くの高齢者の参加者がいた集会広場においては、あまりの混雑に気分の悪くなってしまった人も居た。このため、壇上からはしばしば医者の呼びかけが行われた。集会広場で一人のスリが捕まった。
■雨をものともせず
スカーフ解禁のための憲法改正に対してイズミル、アンタリヤ、デニズリ、ムーラ県ミラス郡において抗議デモが行われた。
イズミルの「アレヴィー・ベクタシおよび地域団体プラットフォーム」と「公務員労働組合(KESK)」がともに計画した「スカーフにNO」集会には、雨天にもかかわらず、およそ1000人が参加した。
「アタテュルク主義思想協会(ADD)」のアンタリヤ支部のメンバーによるデモでは「ケマリストの若者たちよ、今こそ出番」「スカーフはアメリカ帝国主義の陰謀である」というスローガンが掲げられた。デニズリでは「国民主導のプラットフォーム」のメンバーが行ったデモで、CHP(共和人民党)の県代表候補ネヴザト・デニズはスカーフに関連した法律は、世俗主義の共和国に突きつけられた弾丸であると述べた。ムーラのミラス郡において「労働と民主主義のプラットフォーム」主導のもと組織された「暗闇にNO」集会は、雨の中行われた、そして、トルガ・チャンダルのコンサートでもって終了した。
■40平方メートルのスカーフの下で
カイセリではというと「マズルム・デルと信仰のプラットフォーム」という名のグループが、スカーフ容認の憲法改正を支持したが、十分ではなかった。
このグループはスカーフを象徴した40平方メートルの白い布を広げ、またこのグループを代表して演説したイマーム・ハティプ高校の学生であるブシュラ・アージャは、「高校で勉強する者たちや、大学を卒業する女性の立場はどうなるでしょう?」と訴えた。
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( 翻訳者:田林玲 )
( 記事ID:13097 )