スカーフ自由化のために行なわれた憲法改正が、学術関係者を「スカーフに賛成」を唱える派と「反対」を唱える派の二つに分ける中、三番目の声が上がった。一部の学者たちは、「スカーフへの見解による分極化に対して民主主義と自由を普及させよう」という見出しの宣言を出し、インターネットで署名を求め、個人の自由を守る一方で、世俗主義と民主主義の仕組みを傷つけるアプローチに対して協調を呼びかけた。フアト・ケイマン教授、アフメト・インセル教授、メフメト・アルタン教授、ファトマギュル・ベルクタイ教授を含む著名な学者たちが署名をした宣言は、以下の通りである。
「スカーフへの見解による分極化に対して民主主義と自由を普及させよう。これは正しいことであり、私たち自身も今現在主張していることである。高校で優秀な成績を修めて卒業し、入試で合格した18歳以上の成人の学生が、服装を理由に大学入学を許可されないことは、教育を受ける権利の理念、個人の権利と自由、世俗主義の理念、民主主義の仕組みにそぐわない。
しかし、公正発展党と民族主義者行動党がトルコに押し付けたスカーフ問題の解決方法は、単に一部の人々の自由の領域を拡大するために考えられた欠点のある解決策であり、特に大学と社会で深刻な分極化を生み出す可能性がある。私達はスカーフ着用の自由と世俗主義の排除の間に密接な因果関係があるとは見ていない。しかしスカーフの自由化が、個人の教育を受ける権利の問題を越えて、あるグループの権利として取り上げられていることを危惧している。
今も続いている論争では、現代社会における自由の領域が宗教的、民族的、性的、言語文化的といった多元的な仕組みを抱えているということ、ひとりの自由の境界が他者の自由の出発点であるという理念および自由と民主主義の関係は、まったく過小評価されている。高等教育での学問の自由の問題や中等教育での宗教科目義務化の廃止に関して、まったく議論されていないのである。
議論は、自由には制約があり、民主主義は制限されるとの認識がもたらす分極化を前提として展開する中、『スカーフに対して自由で世俗的な共和国を守る』という反対意見に単純化されている。一方では、押し付けようとの考えを反映し、スカーフ着用の禁止自体に反対だが禁止の廃止に際し用いた方法を不快に感じている全ての国民を、『私達の仲間でないならやつらの仲間だ』と単純にレッテル付けしてしまう認識も認められない。
大学と社会において次第に深刻化する危険のある分極化を懸念している私達は、高等教育機関におけるスカーフの自由化論争において、社会的な合意と対話を作り出す第三のアプローチの必要があると考えている。
問題の解決に向けて、権利と自由に関して多元的にアプローチし、他のグループとは異なり自由を責任という理念から考え、自由とその境界を法的な保障の下に入れるという意見を抱いて、アプローチしなければならない。政府もこのような見解で問題にアプローチすれば説得力があるだろうし、他の意見を持つ人々が未来を安心して考えることを保証できる。スカーフの問題を、このような健全な土台に基づき、権利と自由を幅広く認めることを保障することで、体制転換の恐怖なしで議論することができる。新しい憲法の必要性を感じる、実りある建設的な議論と対話の環境は、このような形でのみ生み出すことができよう。」
この宣言は、http://www.PetitionOnline.com/turban/petition.htmlのアドレスでサイン可能である。
現地の新聞はこちら
( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:13100 )