メンデレス氏、父アドナン・メンデレス元首相を思い出させる人々に怒り
2008年02月12日付 Zaman 紙
スカーフについての議論は、トルコの民主主義の観点から見て重要な一里塚となった。
この議論が交わされる中、一部の政治家やコラムニストたちは、5月27日クーデターで処刑されたアドナン・メンデレス氏を想起させて議会を脅かそうとつとめた。
「混沌、不明瞭」という見出しが躍った。こうした記事へ最も厳しい見方を示したのは、メンデレス氏の息子アイドゥン・メンデレス氏であった。メンデレス氏は「アッラーよ、二度とあんなことは。こういうことを言っている人たちは軽率である」と述べた。
公正党の設立47周年記念の祝賀パーティーに参加したメンデレス氏は、国民は全てを見てきたということに注意を促した。同氏は、「共和国には何も生じない、民主主義に何も生じない、そして世俗主義に何も生じない。トルコでこれら(が崩れるとの)恐怖を抱く余地はない。恐らくスカーフ着用も自由になる」という表現を用いた。
アイドゥン・メンデレス氏は、「騒擾と処刑」を想起させた共和人民党(CHP)党首デニズ・バイカルの発言を深刻な口調で批判した。バイカル党首が議会で用いた「憲法は再びつくられることはできないのか?もちろんつくられる。敵を追い出し、国家を再びつくりなさい。国旗を据え付け、お金を印刷しなさい。国をつくった人がみなやってきたことです…騒擾を起こしなさい。処刑の危険を冒しなさい…憲法が一新されましょう」 という発言に次のような返答をした。
「トルコでCHP党員が、特にその党首が口に出してはならない言葉は「処刑」である。彼のご説はたわごとであり、怒り心頭以外の何物でもない。バイカルを含めトルコで誰ひとりとして自身をこの国民の上に立つものと見てはいけない。国民の、その主権は国民のものであり、この事実に反して行動する者たちは、その目的、そして意図が何であれ、共和国またその体制に宣戦布告したということを意味しているのである。」
1960年5月27日のクーデターは、「民主主義の歴史に汚点を残した」と認識されている。クーデター後228名の政治家に死刑が請求された。実際にアドナン・メンデレス首相とふたりの大臣が処刑された。何千人もの民主党関係者が長年収監された。民主党が解党された際、その代わりに公正党が結党された。
公正党結党47周年が、昨日(11日)、スイス・ホテルでのパーティーで祝われた。民主党の新党首スレイマン・ソイルが主催した催しに、結党に参画した政治家、元大臣、国会議員が参加した。
その場で語ったアイドゥン・メンデレス氏は、一致団結を促した。同氏は、次のように語った。「今日トルコで民主党、公正党、正道党、新設の民主党、さらには祖国党に連なる中道右派政党を必要としているのは、確かなことである。民主党の新党首ソイルと新執行部は、揺るぎなく、確固とした意思と善意をもって活動を開始された。今日は、一致団結の日である。」
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( 翻訳者:小野寺香織 )
( 記事ID:13115 )