サッカー連盟の決定は反古に:アリー・ダーイーが代表監督に就任
2008年03月03日付 E'temad-e Melli 紙

【エッテマーデ・メッリー】ゲームの様相は、突然にして一変した。

 体育庁のスポークスマン、モハンマド・アーホンディー氏は、同庁はイラン代表監督の選出に干渉せず、イラン・サッカー連盟の見解を尊重すると発表し、(FIFAから連盟に派遣された)モフセン・ファラーハーニー氏はISNA(イラン学生通信)とのインタビューの中で、サッカー連盟以外の外野からの干渉には、FIFAの反発が示されるであろうと警告した。しかし、その約2時間後、アリー・キャッファーシヤーン、イラン・サッカー連盟会長は、アリー・ダーイーがイラン代表チーム監督に就任したと発表したのである。

 この決定ののち、体育庁のナンバー・ツーであるカユーマルス・ハーシェミー氏は、(この数日間、連盟の責任者らが示した監督選出に関する見解は、彼によるものであったとも言えるのだが)同庁は連盟のいかなる決定をも支持すると発表した。しかしながら、なぜ連盟が最初に選出したアフシーン・ゴトビーに合意しなかったのかについては何も述べなかった。

 イランサッカーの問題に注目している関係者はみな、連盟理事会と連盟代表チーム委員会のメンバーらが先週アフシーン・ゴトビーの監督就任で合意に至ったことを知っている。さらに、これら連盟メンバーらが体育庁担当者らの同意を求めるために、何度も同庁に足を運んだにもかかわらず、連盟の決定を貫き通すことができなかったのを目にしている。

(中略)

 このような状況の中、アフシーン・ゴトビーは土曜日、連盟理事会メンバーの数人、および、体育庁のカユーマルス・ハーシェミー氏らと会合を持った。しかし、ゴトビーによれば、彼に対して厳しい、普通では考えられない対応が取られたことから、イラン・スポーツ界のトップらは、彼がイラン代表チームのベンチに座ることには関心がないのだと悟ったという。

 アリー・キャッファーシヤーン連盟会長は、アリー・ダーイーの名を発表した後にISNAに次のように語った。「日曜日に連盟内で最後の会合を行った。そして、アリー・ダーイーの監督選出は妥当であるという結論に至ったのだ。」

 同サッカー連盟会長は、連盟と代表チーム委員会が監督の選択に関して全権を有していたと述べた。また、アリー・ダーイーとイラン代表選手らとの不和に関する噂について、次のように答えた。「彼らの間にはいかなる不和も存在しないし、誰も代表チームをボイコットしようなどとは考えていない。」

(中略)

アリー・ダーイーは数日後には(イランサッカー・プレミアリーグチーム)サーイパーの監督を辞任する見込みであり、予定の通り監督補佐が選出された後、エスファンド月20日(西暦3月10日)から、彼の代表監督としての仕事を始めることになっている。彼は、代表チームから退いて1年半経たないうちに、(再び監督として)チームに戻ることになったのである。

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( 翻訳者:大場麻子 )
( 記事ID:13310 )