宗務庁長官、宗教の授業に関する行政裁判所の判断に反論
2008年03月10日付 Radikal 紙

宗務庁長官アリ・バルダクオールは、欧州人権裁判所(AIHM)および行政裁判所による宗教科目必修化に関する決定に対し「間違った決定である。事前に宗務庁に相談するべきだった」と反対意見を示して批判を浴びたことで、(本紙に向け)自らの正当性を主張した。同長官はあらゆる国民は裁判所の決定を批判する権利があると述べ、「私はイスラム国家のウラマーでもなければオスマン時代のシェイヒュル・イスラム(国家制度上のウラマー層のトップ)でもない」と発言した。さらに、宗教文化および道徳知識の本ではイスラムについて十分な説明がなされていないとも主張し、「(あまねく宗教を)均等に教えるというが、数学的な意味での均等は不可能だ」と述べた。

行政裁判所が先週下した「現在の内容で宗教科目は必修化できない」という決定が議論され続ける中、バルダクオール宗務庁長官は本紙に対し、以下のような見解を明かした。

■ 私は政教分離を重視している

私は、宗教文化および道徳知識の授業に関連する欧州人権裁判所の決定を手法的な方向から批判しただけである。私は、イスラム国家のウラマーでもなければオスマン朝のシェイヒュル・イスラムでもない。トルコ共和国の宗務庁長官だ。共和国と政教分離を重んじており、このことが21世紀のイスラム世界にとって非常に重要なものであるといつも語っている。

■ 話すことは私の任務である

宗教について語ることは私の任務である。宗教文化および道徳知識の授業が初等教育ならびに高等学校で教えられるべきであると、多いに主張する。宗教文化および道徳知識の授業は、文化的科目のひとつであり、宗教について知識を伝えるきっかけとなりうる。

■ 裁判官も務めた

欧州人権裁判所は宗務庁の言うことをきけ、神学部の言うことをきけ、などと言っているわけではない。私はある時期裁判官を務めた経験もあるし、裁判所がどのように判決を下すべきかも知っている。欧州人権裁判所は机上の議論をしているだけで、イスラムの信仰の基本、預言者の言行、そしてイスラムの共通知識に基づく多くの事項を、客観的かつ合理的な知識として論評していない。私の見解では、欧州人権裁判所はこれらのテーマのどれひとつとしてしっかりとしたデータに依拠していない。

■ 行政裁判所の決定が生む可能性

行政裁判所の決定は2つの可能性をもたらす。ひとつ目は宗教文化および道徳知識の教科書が再検査され、不足箇所があれば補足される可能性。ふたつ目は、この授業を宗教文化でなく宗教教育の形で行う者があった場合、それが実行される前に食い止められる可能性である。

■ まずヨーロッパが均等を保証するべき

宗教科目の授業が行われ、諸々の宗教が解説される中で、(それを)数学的に均等に教えることがどれだけ正しいことだろうか。このような均等をまずは西洋が自分たち自身に保証するべきで、そうすれば私はすぐに認めよう。我々がキリスト教やユダヤ教に対して客観的であるくらいに、西洋もイスラムを解説する時に現実的かつ客観的でいてくれればよかったのにと思う。我々はキリスト教についても教えるべきだ。ユダヤ教についても、その他の宗教についても。しかしトルコ国民の99%がムスリムであり、したがって宗教科目においても(イスラムが)当然ながら優先的かつ重点的に教えられることになるだろう。これ以上に自然なことはありえるだろうか?

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( 翻訳者:川原田喜子 )
( 記事ID:13330 )