最初にAKP解党の訴訟を起こしたのは元最高裁判所検事長
2008年03月15日付 Milliyet 紙

AKP(公正発展党)解党の最初の訴訟は、元最高裁判所検事長サビフ・カナドオールが2002年の総選挙前に起こしたものである。憲法裁判所は、エルドアン首相がAKP党首であることに関し、党籍離脱しているため、(党首にはなれないと)警告したが、しかしエルドアン首相は6ヶ月の間、党首の座を離れず、ただ党籍を離脱していた。
これに対し2002年10月22日にカナドオール元検事長は、エルドアン首相は党首を続投することはできないとし、AKPの解散を要求し憲法裁判所に訴え、エルドアンが党首に就くことをも阻止する決定が下されるよう要求した。カナドオール元検事長は、「憲法裁判所の警告を、法にそった形で、また警告で述べられた形で、そして完璧な形で実行しなかった」という理由で訴訟を起こした。裁判所も、エルドアンが党首に就くことも、党首としての権限を行使することもできないと判決を下した。しかしその権限に対し、予防的な防止措置がとられるようにとの要求については、「判決を下す余地はない」と決定を下した。
裁判所は、エルドアン首相が「創立党員から外れることで、彼の党首の地位も終わりとなる」ことをその決定の法的根拠とした。こうして、2002年11月3日の選挙は実施され、党首のいないAKPが政権についた。

■解党は困難になった
2001年10月3日に行われた憲法改正と、その後の政党法に適用された改正で、政党の解散が困難になった。行動の重大さに見合う形での永久解散のかわりに、訴訟の元となった行動の重大さに応じて、関係する政党の政党助成金の一部、または完全没収という制裁が設定された。また、以前は政党の永久解散には、最高裁判所(憲法裁判所)委員会の大多数である6人の委員が、解散に賛成の票を投ずれば十分と見なされていたが、改正で、解散には少なくとも7人の委員の票が必要となった。
一方で、政党が解散されるための問題行動が、その政党の党員の密接な関与のもと行われること、そしてこの状態が政党の党大会、党首、党中央による決定、党執行部、トルコ大国民議会内の会派組織、グループ執行委員会によって間接的に、または明確に容認されていることといった追加条件も設定された。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:13360 )