エルドアン首相、エルゲネコン捜査をイタリアでの「清潔な手」捜査に例える
2008年03月22日付 Zaman 紙

エルドアン首相は全国知事会議において、報道陣をシャットアウトした中で、ジュムフリイェト紙編集長イルハン・セルチュクも含まれていた今回の逮捕について論評した。情報によると首相は、グラディオの一掃という決着をもたらしたイタリアの「清潔な手」作戦を挙げて、トルコもマフィアや地下組織に対して、同様の闘争をしていると述べた。エルドアン首相は、「早晩トルコに地下組織やマフィアはいなくなるだろう、我々はこの問題について固い決意でいる」と述べた。

タイイプ・エルドアン首相は、地下組織との闘争について、断固としたメッセージを述べた。中央集会に集まった知事らに向け演説したエルドアン首相は、法と民主主義の分野において勝ち得たものをあきらめることはないと述べつつ、次のように断言した。「民主主義と国民に距離を置く者たちは、我々を理解し難いだろう。彼らの目論見では、トルコが今まで勝ち得たものや蓄えてきたものを考慮しないかもしれない。彼らはトルコの昨日、今日、明日など考えに入れていないのかもしれない。

国の威信の高まり、トルコのEU加盟、法の改正による国家の強化、政治の正常化、国家歳入と輸出の増加、インフレと高金利の終息を重要視しないかもしれない。法治国家から地下組織が一掃されることを重大なことと考えないかもしれない。わが共和国がその力強い民主主義と経済で以って100周年に備えるというようなことを悩み考えない者もいるだろう。しかし我々は、トルコ国民の法を守るために、こうした目標から一歩たりとも後ずさりすることはない。」

首相は公正発展党(AKP)についての解党訴訟に対する批判を続け、常識をもって行動することを力説した。その後、共和人民党(CHP)党首デニズ・バイカルを批判した。首相は、最大野党党首を「訴訟に助けを求めているといして」批判した。エルドアン首相は、バイカル党首が1月29日の会派討論会で使った言葉を指摘し、バイカル党首が件の討論会で「重大な予言」をしたと述べた。「彼はこう言っていた、『スカーフに関する法改正は重要な政治的展開に繋がるだろう』と。私は聞きたい、バイカル党首はあの日から何か知っていたのか?バイカル党首は、彼らが政治の舞台で手首を捻れなかったAKPが、このような方法で流れの外に押し出されることを期待しているのか?』。エルドアン首相は、スカーフとコーランを配り、選挙バスのプラカードにスカーフを着けた女性の写真を飾ったCHPと、国会の演壇で何が宗教上の罪であり、何がそうでないのかを語ったバイカル党首について、なぜ訴訟行動が起こされないのかを問うた。

エルドアン首相は、このことに対する反発を以下の言葉で表した。「バイカル党首が言えば正しい、CHPが行えば正しい、他の者が行うのなら間違いである。一つの物事は正しいか正しくないかなのである。一度に二つは可能ではないのだから、バイカル党首とCHPは誤りを犯す「特権」をもっているか、と問う必要がある。もし他の者が行えば間違いであることが、CHPが行った場合には正しいとなるのなら、この特別な保護、この特権を彼らはどこから得ているのか?法律にも国民の良心にも、これを適合させることは不可能だ」。エルドアン首相は、摘要して次のような見解を述べた。

■以前は、34パーセントの合法性を審問していたしていた
「34パーセント(前回総選挙までのAKPへの支持率)の政治的合法性とは何か?」と問うた者は、47パーセント(前回総選挙でのAKPへの支持率)になるや今度は「多数派の言うことがまかり通るのか?」と言っている。民主主義は多数派の独裁政治ではない。民主主義とはこういうものだということを知る者は、決して少数派の専制支配をも主張することがないよう願いたい。なぜなら、だれかが自分自身に相応しいと思ったことを、人によっては、少数派から、時には多数派から守るということもありうるのだ。我々はこれら全てを経験し、見てきた。この国で少数派というとき、私は非ムスリムのことを言っているのではない。民主主義において選挙で、少数派にとどまったエリート集団がいるだろう、彼らのことを言っているのだ。彼らは、この国の進路は自分たちが描く、この国の意思決定権は自分たちにあると言って国民を押しやり、国民をいないものとしたのだ。共和国主義者だと言いながら人民はいないものと想定し、人民主義者だと言いながら人民を無下にしたのだ。

■民主主義の目標を高くする
自由は完全なものであり、分割するのは不可能だ。自由にヒエラルキーはない。自由は自他の違いを認めない。我々のうち1人が自由でないなら、我々全員、誰であれ自由にはなれない、自由とはこういうものだと信じるべきだ。公正と自由は、皆にとってそうあるときに現実のものとなる。このために我々は躊躇せず、障害をものともせず、民主主義の目標をより高く掲げ続けるつもりだ。国会の屋根の下で、国民の意思を代表するいかなる団体にも、いかなる政党にも不当がなされることを認めることはできない。民主主義の制度、組織を守らずして、そして民主主義の優先性を認めずして民主主義を永続させることはできない。

■民主市民党(DTP)の解党にも反対
バイカル党首はこう言っている。「首相は、DTPに対する解党訴訟が起きた際、『裁判にまで進んでいる件について話すのは正しくない』と言った」と。私はこの発言をチェコ共和国からの帰途の際、訴訟内容を知らずに何か発言することはできないと述べてから言ったのだ。こんな説話がある、『礼拝に近付くな』。この文の最初は述べられていない。ただそこを抜粋している。では最初には何がある?『酩酊状態のとき、酔っている時、アルコールが入っているときはそこに近付くな』。空港で新聞記者らの質問に対して私は次のことを述べたのだ。「民主的な闘争の方法は明白でなければならない。強固に防御しても議会の外に押しやられれば、彼らを山に送ることになるのです(反体制的行動をとらせることになるのです)。選挙で選ばれてきた国会議員らの不可侵権を撤廃すること、議会外に追いやることは正しくない。民主主義的政治を選択する者たちに、門戸を閉めるべきではないことも、特に強調した。」

■学部長らはなぜ不快なのか?
とても興味深い場所から、興味深い見解がだされている。興味深い態度が示されている。あなた方はなぜ不快に思うのか?この態度は、不快感からのものなのか?それとも、機会を見つけられず、ジグを踊れないでいるので、これは新しい言葉として現れたのか?学部長らも通達を広めているのを私は知っている。つまり、事はあなた方に委ねられた。今度は、あなた方が思うところを明らかにするのです。」

■新しい試練の入り口にいる
我々は当初来、政治を国の問題解決の道標にするため、政治に信頼と尊厳をもたらすための闘争を行っている。この道のりで、幾人かの政治家によってわれわれは孤立させられ、民主主義の試練に我々のみで立ち向かったときもあった。しかし神に栄光あれ、我々は自身の高潔さで持って立派に克服した。政治が、国民の意思の道標と希望になることに成功した。今日、我々は新しい試練の入り口にいる。これをもわれらが高潔さで持ってやり遂げるつもりである。毎日メディアでAKPはどうするのか?いろいろな解説がなされ、醜いでっちあげが行われている。我々はこれらを見ると残念に思う。はっきりと、明確に言うが、AKPは当初来何をしようと、今日も、明日もそれをするだろう。法に、民主主義に、そして国民の意思に忠実であり続けるだろう。国民政治に、わが共和国の現代文明という目標に、AKPの原則に、変化の考え方に、そして常識に相応しいものは、何であろうと、それを行うだろう。」

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( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:13410 )