エルゲネコン捜査、衝撃の進展
2008年03月22日付 Radikal 紙

エルゲネコン捜査は、昨日(21日)驚きの拘束とともに(事件の)「規模」を変えた。ジュムフリイェト紙の主筆で社主のイルハン・セルチュク、労働者党党首ドーウ・ペリンチェキ、元イスタンブル大学学長のケマル・アレムダルオールを含む12名は未明に自宅や職場に行われた「暁」作戦により拘束された。労働者党、アイドゥンルク誌、ウルサル局のコンピュータ、書類は押収された。

2007年12月13日にウムラニエのとある家で発見された手榴弾とともに開始したエルエネコン捜査は、拡大し続けている。以前に39人を拘束した捜査の一環でイスタンブルとアンカラのテロとの闘いの捜査陣は、昨日早朝4:30ころ、イルハン・セルチュク、ドーウ・ペリンチェキ、ケマル・アレムダルオール、ウルサル局放送部長フェリト・イルセヴェル、アイドゥンルク誌編集長セルハン・ボルク、ペリンチェキ党首のボディーガードのユスフ・ベシェリキ、新聞記者のアドナン・アクフラト、ビジネスマンのイブラヒム・ベンリらの自宅、職場に同時に捜索を行ない、20に近い場所を捜査した。

イスタンブルで捜査を進めるゼケリヤ・オズ検事の指示でテロとの闘いの捜査課は行動を開始し、セルチュク主筆の自宅で3時間の捜索を実施後、同氏を7:30ころにイスタンブル県警に連行した。

入手した情報によれば、他の人物とは異なり、アレムダルオール元学長には事前に通知されていた。捜査陣は、晩に同氏を訪れ、「尋問を行います。半時間後準備なさって迎えにあがります」と述べたという。暫く後に来訪、拘束した。

アンカラの捜索は、労働者党の党本部のあるトロス通りで実施された。オズ検事は、同党への捜査のため、アンカラ第11重罪法廷検事局に指示をおくった。同検事局は、アンカラのテロとの闘い捜査課にその旨を伝えた。警察は、党本部とともに党の報道機関であるウルサル局とアイドゥンルク誌の事務所のある建物を包囲した。その際ペリンチェキ党首は、アンカラ滞在中に宿としている党本部建物の5階の部屋で就寝中だった。同党首の拘束後、建物が捜索された。

■ 4つの武器発見

アイドゥンルク誌は毎木曜日に発刊されていたため、職員の一部はまだ事務所にいた。警察は、党本部、ウルサル局、アイドゥンルク誌の事務所で4つの無許可の武器を押収したといわれる。武器の一つは、党本部が居所として使用している一室のベッドの下、もう一つは同じベッドの枕の下にあったとされた。

武器との関係が考えられる二名の建物の警備員および二名のペリンチェキ党首のボディーガード、(計4名の)ユスフ・トゥンジェル、アイドゥン・ゲルギン、マーヒル・チャヤン・ギュンギョル、アイクト・トカクが拘束された。この武器が以前に使用されたものであるか否かが調べられている。拘束の知らせが伝えられた後、党関係者は、建物前に集まり、反政府のスローガンを投じた。本日13:00に集団記者会見が行われたと伝えられた後、関係者は解散した。

■ 袋一杯の書類

建物で晩まで続いた捜索の際、警察は、多くの書類と一部のコンピュータをも調べた。ペリンチェキ党首の使用が判明しているコンピュータには、エルゲネコン捜査の中で以前に逮捕された人物とおこなった一部書類があるといわれている。警察は押収した書類、CD、コンピュータをイスタンブルに送った。

労働者党のイスタンブル県支部、同じ建物内のウルサル局、アイドゥンルク誌ででも捜査が実施された。警察が大規模な警戒態勢をとる中、テロとの闘い捜査課は、コンピュータのハードディスク、書類を調べた。建物からは晩に文書を一杯詰めた10を越える袋が出された。調査された書類の中には、アイドゥンルク誌の過去の膨大な書類が含まれているという。ペリンチェキ党首の、イスタンブルのガイレッテペの自宅にも早朝4:00ころ警察が急襲した。同党首の妻シュレさんは、「20人程の警官が、家にある1974年以降の全書類を調べたわ」と述べた。

■ ペリンチェキ:犯罪が増している

アンカラからトルコ航空の通常便で午前10:40にイスタンブルに連れてこられたペリンチェキ党首は、健康チェックから出てくる際、「タイイプ・エルドアンの犯罪は増している。それにやられている。犯罪が増しているのだ。不法に拘束されたのだ」と叫んだ。同氏には手錠ははめられなかった。

被疑者の警察での手続が進む中、弁護士らは裁判所に向かった。しかし弁護士は依頼人たちとの面会を許されなかった。セルチュク主筆の弁護士フィクレト・イルキズは、「こうしたこと、捜査を認めた際に冷静でいることが大切です。テロとの闘い-特別捜査手続-犯罪法廷手続法により拘束されました。このため24時間接見できません。尋問は48時間で終了しなければなりません」と語った。

ペリンチェキ党首の弁護士オスマン・アイドゥン・シャーヒンは、「ペリンチェキ氏ほかは、『武装組織のメンバーである』とのことで進められていた捜査の結果、拘束されました」と述べた。

捜査のためオズ検事の他、2名の検事が任命された。セダト・ペケル、セミフ・ギュルアルタイ、ヤシャル・オズの供述をとったゼケリヤ・オズ検事は、昨日別件で拘留中の、「コジャエリの武装組織」として知られる犯罪組織の指導者ハディ・オズジャンを尋問した。

■ 「クーデター期」のよう

イルハン・セルチュク主筆の拘束が大きな反応を生む中、支援者たちが社屋前に集まった。この間執行部会議が招集され、作成した声明を、編集長のイブラヒム・ユルドゥズが読み上げた。

「国家が彼自身にたいし15年間近く護衛を配し、居住地、職場、全生活が社会の前で明白なセルチュク氏が、(1971年)5月12日、(1980年)9月12日の軍事クーデターの時期を思い起こさせる方法で拘束されたことの意味を、公衆に判断していただきたい。「エルゲネコン」が公正発展党の解党裁判と関連づけられ、ジュムフリイェト紙をこうしたやり方で納得させ、沈黙させようという戯れの道具には我々はならない。紙名をアタテュルクが付けた本紙は、84年間、民主的、世俗的、社会的法治国家の仕組みを支えているのだ。」

ユルドゥズ氏は、83歳のセルチュク主筆が2度心臓発作を起こしていることを喚起した。

■弁護士、健康上の理由で釈放請求

晩に弁護士らは、セルチュク主筆が、容疑と法律上違うかたちで拘束されたと主張し、釈放を請求した。弁護士のビュレント・ウトゥク、アクン・アタライが提出した嘆願書では、「83歳の依頼人は、提出した診断書からも明瞭なように、急性心臓発作を起こしており、高血圧でもあります。狭心症をもつ依頼人は、国際的分類によれば、第三等の心臓病に当たります。規則的に薬を服用し生命を保っていられるのです」とされた。しかし予審法廷は請求を受け入れなかった。

■ セルチュクの最後の記事

イルハン・セルチュク氏は、昨日の記事でエルドアン首相をフランスのルイ14世に例えた。「RTE(エルドアン)は、ルイ14世か?」という名の記事を次のように終えている。

「さて、こうして進むと諸々のことが生じよう… RTEがルイ14世のように「朕は国家なり」というかぎり、国家が安定し、みなが落ち着き、平常化することはありえない… RTEが憲法や司法に「ふつうのひと」のように敬意を示すか… あるいはルイ14世ではないことをRTEに思い起こさせ、教える行為を準備しよう… 他の術はない…。」

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( 翻訳者:清水保尚 )
( 記事ID:13413 )