トゥルグト・オザル第8代大統領没後15年、明日、追悼式典行われる
2008年04月16日付 Hurriyet 紙

祖国党創設党首、元首相、第8代大統領を務めたトゥルグト・オザルは、彼の死後15年目にさまざまな活動で追憶される。

オザルのために明朝(17日)、霊廟で国家が催す追悼式典が行われる。祖国党イスタンブル県支部局が行う計画にも祖国党員らは明朝霊廟で一堂に会す。

祖国党イスタンブル支部局によって同日正午の礼拝のあと、エユプ・スルタン・モスクでメブリットが詠まれる。

祖国党本部でもオザル追悼プログラムが組まれている。議場のプログラムで、祖国党エルカン・ムムジュ党首、ニヤズィー・カフベジ副党首、メフメト・ケチェジ元大臣が各々スピーチを行う。

党本部での追悼プログラムへの参加のために、全県、郡、町の機構に呼びかけがあった。

さらにオザルの出身地であるマラトゥヤでは17日に党の県支部によって、アンカラでは4月20日日曜日にトゥルグト・オザル思想推進協会によってコジャテペ・モスクでメブリットが詠まれる。

■トゥルグト・オザル

トルコ共和国の第8代大統領を務めたトゥルグト・オザルは、1993年4月17日土曜日、大統領府で心臓発作を起こしハジャテペ病院に運ばれたが、すべての処置にもかかわらず命を落とした。

1927年にマラトゥヤで生を享けたトゥルグト・オザルは、1950年にイスタンブル工科大学(ITU)の電気工学士として卒業した。オザルは1952年にアメリカへ渡り、経済学を修めた。

トルコに帰国してから電気調査局の副部局長となり、トルコの電化に関するプロジェクトで働いたオザルは、1961年から62年の間に兵役を国防省科学協議委員のメンバーとして行った。国家計画機構(DPT)の創設に貢献したオザルは、中東工科大学で教鞭をとった。

一時首相府庁技術専門委員会のメンバーとして働き、1967年から1971年の間国家計画機構の事務次官を務めたオザルは、経済協力委員会、金融・貸付委員会、地域開発協力協力委員会、欧州経済共同体協力委員会の委員長にあたった。

世界銀行で1971年から1973年のあいだ諮問委員の任にあったオザルは、トルコに戻った後さまざまな産業組織で働いた。そして1979年末に首相府次官として任命された。オザルは同時に国家計画機構事務次官の職を代行兼務した。

オザルは1980年9月12日クーデタの後設立された政府で経済担当副首相に任命された。

この任を1982年に辞職したオザルは、1983年に祖国党を創設した。そして同年に行われた総選挙で政党が単独政権を樹立したことで、トルコの第19代首相となった。

祖国党は1987年総選挙でも成功の結果を収めたことで、1989年秋まで続いた第2次オザル政権時代が始まった。

オザルは、第7代ケナン・エブレン大統領の任期満了まで残りわずかの時期に大統領候補となることを表明した。トルコ大国民議会によって1989年10月31日にトルコ共和国第8代大統領として選出されたオザルは、1989年11月9日付けで職務を開始した。オザルは亡くなった1993年4月17日まで大統領職を続けた。

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( 翻訳者:栗林尚美 )
( 記事ID:13597 )