モタッハリーの遺産:ゴラームアリー・ハッダード=アーデル(3)
2008年04月28日付 Jam-e Jam 紙
理性主義の思想家モタッハリー
〔マルクス主義や世俗主義などの〕以上のような問題と対峙する際にモタッハリーのとった視点や思想を一瞥するならば、宗教理解における彼の方法こそが、彼の残した最も建設的で最も貴重な遺産である、と言うことができるだろう。それは、特定の時代や問題に縛られない普遍的なものだからだ。
思考の領域に踏み入ろうとしている親愛なる学生たちにあっては、殉教者モタッハリーの著作に含まれる真理を利用するだけでなく、彼の方法を抽出し、活用すべく努力するべきなのである。
モタッハリーは理性を重んじ、理性に依拠する思想家であった。そしてこのことが、彼の方法論の命であり本質なのである。モタッハリーの考え方は知性を中心としたものだ。そしてそこにおいては、理性によって他の力が統制される。
彼の関心が哲学に向いていたのも、哲学を人間理性の明確な発露だと考えていたからだ。この理性的な方法は、2つの領域で活用されている。1つは、宗教の内部から宗教を見つめる領域。もう1つは、宗教の外部から宗教を見つめる領域だ。
ところで、モタッハリーの宗教に対するこのような理性的な方法や視点が遺したものとは何だったろうか。宗教の内側から宗教的な問題に対しモタッハリーが理性的な眼差しを向けたことが見て取れるいくつかの例に、簡潔に触れてみることにしよう。
理性主義という方法が遺したもの
1.感情の統制
モタッハリーの理性的な視点が現れている一例として、感情のコントロールが挙げられる。宗教は決して感情と分離したものではない。なぜならば、宗教は人間の心にその根源を有しており、心は人間の情熱や活力の中心で、感情の源泉であるからだ。
感情の欠けた宗教は、宗教ではない。人間的営為に欠けた宗教など、世界のどこにも存在しないのだ。
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( 翻訳者:阿部文美 )
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