「Googleで調べました」ディンク暗殺予告を放置した軍警察下士官らの証言
2008年06月20日付 Hurriyet 紙
2007年1月19日にアゴス新聞編集主幹フラント・ディンク氏が殺害された事件で危険を看過したとの理由で6ヶ月から2年の懲役を求刑され、現在釈放中の被告、オカン・シムシェキ軍警察下士官およびヴェイサル・シャーヒン上級曹長の公判が行われた。
トラブゾン第2治安裁判所の公判には、釈放中の2名の被告人は出席しなかった。証人として、軍警察のヒュセイン・ユルマズ下士官とハジュ・オメル・ウナルル上級曹長が出廷した。
■ディンクの名前はGoogleで確認しました
ユルマズ下士官は、まとめると次のように話した。
「2006年8月、オカン下士官は、マクドナルドに爆弾を仕掛けたヤスィン・ハヤルがアルメニア系記者のフラント・ディンク氏を襲うつもりだとの情報を手にしたと言いました。会議の終盤で、情報局長のメティン・ユルドゥズ氏にこのことを話し、アリ・オズ大佐に情報を流しました。オズ大佐は、『本件については後ほど別途話し合おう』と言いました。2日後、彼はユルドゥズ局長の部屋で私に『ヤスィン・ハヤルは、3-4人の友人とイスタンブルにあるアゴス紙の記者フラント・ディンクという人物を襲撃するとのことだ。また武器の入手につとめているようだ。』と述べました(…) Googleで検索した結果、当の記者がクラントではなく、フラントとわかりました。そのあと誰もこの件に触れませんでした。フラントの殺害当日2007年1月19日まで何一つ問いかけも、命令もなかったです。」
■警察は1年前から知っていました
次に証言したウズマン・チャヴシュ・ウナルル上級曹長は、他の証言に同意し、この件について誰からも指示を受けることはなかったとして、次のように述べた。
「実のところ、この件をそれほど真剣に受け止めていなかったのです。トラブゾンではこうした噂は頻繁にありました。実際に起こるとは考えていなかったのです。事件が起こったことは、テレビを見て知りました。翌日、私はヒュセイン下士官と警察に行きましたが、そこで警察もこの件について事前に情報を得ていたことを知りました。私たちは事件の半年前に知ったのですが、警察は1年前から把握していたのです。」
公判は、他の証言者からの証言も聴くため9月26日まで延長された。その一人、アリ・オズ大佐には、職場であるブルサで7月21日に出廷するよう通達が出された。
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( 翻訳者:倉本さをり )
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