夫殺し事件:若妻の「血の賠償金」支払いに人々の寄付
2008年06月16日付 E'temad-e Melli 紙
私は13歳で従兄弟と結婚しました。一緒に暮らし始めて5年後、夫が他の女と親しくなったので、私は当時たった25万トマーンの婚資金を受け取って彼と別れました。この結婚によって私には5歳の娘が一人おりましたが、夫が麻薬常用者だったため、彼女の養育権は私に委ねられました。
20歳のとき、父に強制されて他の男と結婚しました。このとき私は50歳年上の男と結婚しました。彼には他に2人の正式な結婚による妻がいました。私ははじめ彼女たちも夫の妻であるということを知らされていませんでしたが、しばらくしてそのことを理解しました。夫とは8年間暮らしました。この間2回、様々な理由で離婚を求めましたが、・・・(中略)・・・認められませんでした。
しばらくして、私は「ベフナーム」という名の若者と親しくなりました。ベフナームは私たちの生活状況を理解していました。彼は私がどれほど苦労して状況に耐えているか知っていました。彼は私が夫に苦しめられずとも済むように、私の夫を殺してはどうかと提案しました。私はそれには反対しましたが、私たちの関係がより深くなると、彼は私が夫殺しを実行しなければ私の娘を殺すと脅迫さえしました。
殺害は1384年のモルダード月〔2005年7~8月〕に行われました。私はこの事件の3日後、警察に自首して、事情を説明しました。その年のシャフリーヴァル月[8~9月]には容疑者として逮捕され、エヴィーン刑務所に移送されました。その後テヘラン州刑事裁判所で裁判が行われ、キサース刑が言い渡されました。この間ほとんど娘に会うことはできませんでした。
現在私は夫の遺族と話をし、彼らは6億リヤール[約705万円]を受け取ることで、〔キサース刑免除に〕同意する用意があると言っていますが、私にはこの金額を支払う力がありません。
( 翻訳者:佐藤成実 )
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