トルコ語・クルド語で歌うPOP歌手ロジンとのインタビュー
2008年06月22日付 Yeni Safak 紙
トルコでトルコ語とクルド語を一緒に使う唯一のポップ歌手ロジンは、4枚目のアルバムである「デク(タトゥー)」で音楽マーケットでの地位を確立した。ロジンは、彼女が子どもの頃、自分の母親の体に施されており、灰、ミルク、針を用いて行われ、特にウルファ、マルディン地方でよくみられる伝統的な刺青から着想を得て、4枚目のアルバムに「デク」というタイトルをつけた。ウルファやマルディンでは、顔や腕に「デク」を施した女性を現在でも見ることができる。しかしロジンがこのアルバムのタイトル名にもした曲をテレビで視聴することはできない。今日までに彼女がリリースした3枚のアルバムに入っているクルド語の曲を取り上げてこなかったテレビ局は、同じ姿勢を今も続けているようだ。しかしロジンは何もせず待っているだけではなく、自分の曲がテレビ局で放送される策を探したという。
「デクというアルバムが出る前に、私とクルド語の曲でデュエットをしてもらうため、著名な多くのアーティストのドアを叩きました。セゼン・アクスだけから肯定的な返答を得ることができました」と語るロジンと音楽について、またテレビ局との闘争について、そしてクルド人とトルコ人との関係について話を聞いた。
■セゼン・アクスは勇敢な女性
ロジンは「スィ」、そして「ヤ・ヘプ・ヤ・ヒチ(全か無か)」というタイトルのクルド語のアルバムにより、大きな成功を収めている。そして3枚目のアルバムではセゼン・アクスのある曲を歌うと決め、「ヴァズゲチティム(私は諦めた)」というヒット曲を、「ネマドゥヴム」というクルド語タイトルの曲に編曲したのだった。ロジンは、当時、セゼン・アクスは自分の曲がクルド語で歌われたことに大きな喜びを感じ、そして1クルシュも著作権料をとらなかった述べ、こう続けた。
「デクをリリースする前に、名は伏せますが、多くの著名アーティストのドアを叩きましたが、非常に滑稽な口実で私を拒んだのです。しかしセゼン・アクスだけは約束してくれました。彼女は極めて勇敢で勇気のある女性です」
■英語にいらいらする
昨年、テレビ・エイトで番組の司会者を務めるニルギュン・ベルギュンは、ロジンに電話をかけ、番組へと招待したそうだ。しかし数日後に番組の担当責任者らが再度電話をかけ、クルド語であるため番組に出演させることができないと言ったという。またある別のテレビ局では、クルド語の曲を歌いだすと慌ててコマーシャルへと移り、クルド語で歌わないように警告されたという。
これに似た出来事が数十回と身に降りかかったというロジンを最も苛立たせるものはこれらのテレビ局が放送する英語の曲である。この国の一言語であるクルド語を禁じ、まさに外国のものである言語に憧れを醸成させることにがまんができないと言うロジンはこう語る。
「彼らが私たちに示す唯一の理由は、『いやいや大変なことになりますよ』というものです。この問題を話すことにうんざりしているのですが、話をするとまわりまわって結局は同じところに辿り着いてしまうのです」
我々が行き着いたところは、クルド語のビデオクリップを放送させるために、ロジンがテレビ局に対して始めた過酷な闘争だ。
クルド語のビデオクリップを作成すると言ったがためにアフメト・カヤの身に降りかかったことをロジンに思い出してもらい、ロジンがそうはいっても幸運な立場にあると思うべきだと我々が言うと、その目的のために彼女の身に降りかかったことがアフメト・カヤを下回るようなことは無いことを我々は知った。経験した事件をマスコミに公表したくないというロジンは、今日までに通りに掲示されたポスターが回収されたり、ステージで歌っている際には暴漢によりステージから引きずりおろされそうになったり、違法組織へ援助したという罪に問われ、欠席裁判により逮捕状が出されたと言う。
「ワイドショー記者が主催する集まりに私が行ったら、フォークやナイフが投げつけられたことでしょう」
ロジンは特に次のことを強調する。「私の曲に政治的なメッセージは全くないのです」
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( 翻訳者:岩根匡宏 )
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