机上のデザイン:第3回「わが国の女性」祭開催を考える
2008年07月21日付 Jam-e Jam 紙
祭典で披露された服は社会一般の文化に適合していないとする声も
【社会部】第3回目を迎えた「わが国の女性」祭が現在開催されている。この祭典の開催者たちは女性用衣服の国民的・イスラーム的モデルの普及を目指しているが、開催3年目を迎えた現在も、生産者やデザイナーはこれらのデザインを活用し商品化する気はないようだ。その理由として、彼らはこれらのデザインに対する市場における需要が取るに足らないものにすぎないからだとしている。
ジャーメ・ジャム紙記者の報道によれば、
過去3回にわたりライブでのファッション・ショーという形で開催されてきた「わが国の女性」祭は、国民的かつ宗教的基準に則した新しい衣服のモデルを社会に提供することを追求してきた。
この祭典の開催は、国民的な衣服デザインの提供という
政府ならびに国会の政策の延長線上にあると見なすことができる。ことの始まりはイラン暦1364年(西暦1985年)に〔現〕革命最高指導者〔=ハーメネイー師、当時大統領〕がハメダーン州を訪問した際の提案にさかのぼるが、しかし国民的な衣服デザインを提供するという決定がなされたのは、イラン暦1384年(西暦2005年)になってからだ。〔‥‥〕
「わが国の女性祭」はイラン暦1385年(西暦2006年)から現在まで、女性衣服向けの国産モデルの利用へ向けた、文化創造的な政策であると主張してきた。
「わが国の女性祭」担当書記のファラフナーズ・ガンドフォルーシュ氏はこのことについて、次のように語っている。「服飾の多様性のすそ野を広げ、服の新しい流行に目を慣らす目的がある。このような目的が達成されて初めて、女性たちはこのような服を買いたいと思うようになるであろう」。
毎年「わが国の女性祭」を開催するためにこのような理由付けがなされる一方で、ショーを観覧にきたネガール・サミーイーさん(23歳)は披露された服を公共の場で着る気にはなれないという。「これら服は目立ちすぎるわ。こんな服を着たら、みんなにじろじろ見られちゃう。他の人たちにマネができるよう、まずはこれらのデザインを宣伝している本人たちが、これらの服を着るべきじゃないかしら」。
だが、ガンドフォルーシュ書記の見解は別のようだ。同氏によれば、ファッション・ショーで披露された200通りのデザインは、祭典事務局に送られてきた2000通りのもののなかから選ばれたもので、大量生産に耐えうるクオリティを備えており、NGO「わが国の女性たち」が州政府の支援を受けることができれば、これらのデザインの服を大量生産することも可能なはずだ、というのである。
しかし同氏がもくろむこれらのデザインの普及と大量生産の見通しはあまり高いものとは言えないようだ。実際、ファッション・ショーを見学にきた女性たちの反応がそのことを証明しているように思われる。
一部の観客の意見によれば、ショーで披露されたチャードル〔全身を黒い布で覆う女性用の服〕はチャードルを愛用する「チャードリーな」女性たちの人気を得られておらず、テヘランのような街中でさえも適さないものであり、このような服がより小さい地方の町では到底根付くことはないだろうという。このことは、これらの服〔の普及〕へ向けた文化創造的な政策の失敗を意味していることは言うまでもない。
ショーの観覧にきた女性の一人は次のように語る。「これら服は高価すぎるわ。しかもこれらデザインの多くは、
社会的安全計画での〔バッドヘジャーブの〕取り締まりに抵触してしまうんじゃないかしら」。彼女はまた次のように問う。「デザイナーはこれらの服を宣伝する際、〔バッドヘジャーブを取り締まる〕指導パトロール隊ときちんとすりあわせをしたのかしら?」
〔後略〕
この記事の原文はこちら
関連記事(「我が国の女性たち」祭を考える)
( 翻訳者:大場麻子 )
( 記事ID:14390 )