今回は2対9ではなかった AKP解党請求裁判、解党賛成の判事は6名にとどまる
2008年07月31日付 Milliyet 紙
憲法裁判所は、福祉党(RP)と美徳党(FP)を過去に解党し、昨年7月22日の選挙の前に行われた、議会内での大統領選出投票の定足数の訴え(最低367名出席して投票決議)を認め、大学でのイスラム風スカーフの禁止を廃止するという憲法改正を賛成2票、反対9票で棄却してきた。このため「公正発展党(AKP)は賛成9票、反対2票で解党する」との解釈が醸成されていたが、逆の判決を下した。
アフメト・ネジュデト・セゼル第10代元大統領によって(憲法裁判所)裁判官団に任命された3人の裁判官がAKPの解党に反対した。歴史的決定を下した裁判官達の略歴と投票行動は次のようなものである。
■ ことごとく裁判の拒否を望んだ裁判官
・憲法裁判所ハシム・クルチ裁判長:1950年生まれ。トゥルグト・オザル第8代共和国大統領によって1990年にメンバーに選ばれた。残る任期は7年である。RPとFPの解党決定に反対した。367決議とイスラム風スカーフ裁判に対する棄却請求の拒否を望んだ。
■ 解党を望んだ裁判官
・ 憲法裁判所オスマン・パクスュト裁判長補:1953年生まれ。元大使。アフメト・ネジュデト・セゼル第10代元共和国大統領によって2005年に任命された。11年任期を務める予定。イスラム風スカーフと367決議には「棄却」の側に票を投じた。
・ フルヤ・カンタルジュオール裁判官:1948年生まれ。スレイマン・デミレル第9代共和国大統領によって1995年に行政裁判所の定員枠により選ばれた。任期が5年残っている。RPとFPでは解党に票を投じた。367決議には棄却を望んだ。
・ メフメト・エルテン裁判官:1949生まれ。セゼル元大統領によって最高裁定員枠により2002年にメンバーに選ばれた。残る任期は6年である。イスラム風スカーフと367決議には棄却に投票した。
・アブドゥッラー・ネジミ・オズレル裁判官:1945年生まれ。セゼル元大統領によって軍事高等裁判所の定員枠により2004年にメンバーに選ばれた。残る任期は2年である。イスラム風スカーフと367決議では棄却の側に投票した。
・ シェヴケト・アパラク裁判官:1945年生まれ。セゼル元大統領によって行政裁判所の定員枠の中から2005年に選ばれた。残る任期は2年。イスラム風スカーフと367決議には棄却の側に票を投じた。
・アイラ・ペルクタシュ裁判官:1949年生まれ。セゼル元大統領が離任する直前に行政裁判所の定員枠により任命された。残る任期は6年。イスラム風スカーフ訴訟では棄却の側に票を投じた。
■ 「国庫補助を断つよう」とした裁判官
・ サジト・アダル裁判官:1945年生まれ。オザル元大統領によって「上級レベル行政担当者」の定員枠により、高等教育機構(YÖK)の委員であったときの1993年にメンバーに選ばれた。残る任期は2年。RPとFPの解党に反対した。イスラム風スカーフと367決議では棄却訴訟の拒否を主張した。
・アフメト・アクヤルチュン裁判官:1949年生まれ。セゼル元大統領によって最高裁の定員枠により2000年にメンバーに選ばれた。残る任期は6年。FPの解党の側に票を投じた。イスラム風スカーフと367決議では棄却の側に投票した。
・セルダル・オズギュルデュル裁判官:1955生まれ。セゼル元大統領によって2004年に軍事高等行政裁判所の定員枠によりメンバーに任命された。残る任期は12年。イスラム風スカーフと367決議では棄却に投票した。
・セルフ・カレリ裁判官:1954生まれ。セゼル元大統領によって弁護士の定員枠によって2005年に任命された。元民主左派党(DSP)党員。11年任期を務める予定。イスラム風スカーフと367決議では棄却側に投票した。
■ アダル裁判官によるサプライズ
裁判でもっとも大きなサプライズの一つは、保守的な経歴で知られるサジト・アダル裁判官が、AKPの世俗主義に反した活動の焦点であるという見方を示したことである。アダル裁判官は、AKPに対しこの理由で(解党の)裁可をおこなうこと望んだ。アダル裁判官は、ハシム・クルチ裁判長とともに批判的な裁判で同一行動をとることで注意を引き、RPとFPの解党に反対したが、今回の選択は異なった。アダル裁判官は、クルチ裁判長には逆に、今回のAKPに(解党の)裁可の実施を望んだ。
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( 翻訳者:高岡望結 )
( 記事ID:14403 )