■ 今週の論説:7月革命と力の時代
2008年07月24日付アル・アハラーム紙(エジプト)HP1面
【本紙代表取締役:ムルスィー・アタッラー】
現下の国際情勢を公平に見るに、覇権を競い、自国の意向を押し付ける時代に再び戻ろうとするあからさまな願望にわれわれは不快感を覚えざるを得ない。しかしそのこと自体、56年前にエジプトの選ばれし高潔な青年たちが独立と国家主権を求め、植民地支配と外国の後見を拒否して、1952年7月23日の革命を起こすことで成し遂げようとしたことの正しさを証明している。
過去を忘れた、あるいは忘れた振りをしている人々の記憶を蘇らせ、若い世代の前に事実を明らかにすることで、今週の論説を始めさせていただきたい。比較するわけではないが、1952年7月以前の我々は、植民地主義勢力の意向と、国際シオニズム計画、およびそれらが様々な問題に及ぼしていた悪影響に挟まれて、身動きが取れる隙間がわずかしかないと嘆き、また国際政治の舵取りをし、鍵を握る大国たちの清廉さへの不信を口にしたものだ。だが今日ではそのような隙間は完全に消えうせ、どんな中立の観察者であれ、アメリカに代表される大国たちの意向と、イスラエルに代表される国際シオニズム計画との狭間に、わずかな、限られた空間すら見つけるのが難しいまでになっている。
我々は今日、新しい思想を伴った新しい時代が課す、様々な事実に直面している。その新しい思想の持ち主であるアメリカの極右たちは、今この瞬間に起きていることを真実とみなす。つまり彼らは、「真実とは歴史的事実や地理的な条件と切り離せないものである」という、歴史的にも人道的にも広く認められてきた定義を廃して、力のメカニズムと強制への指向とによって真実の書き換えを可能にし、国家や民族間の紛争を処理する際に有効な要素として真実に依拠することはしないと考えるのだ。
私はサッダーム・フセイン元イラク大統領の拘束・裁判・処刑という不快な光景から、最近のオマル・アル=バシール・スーダン大統領の訴追へという動きの中に、強制的なグローバリゼーションという状況下における、新たな政治思想の暴虐ぶりの悲劇的な全体像を見て取ることができる。そうした思想の持ち主達はこの状況を通じて、様々な危機を作り出し、裁き、解決する際に絶対的な至上の発言権を持つのは力の真実なのだと我々を納得させようとし、「力の真実は永遠ではなく、常に変更され、交換される可能性があるもの」だと我々に知らせてくれる歴史の教えをすべて無視する。
以上は、私が栄誉ある7月革命の56周年について語る前にどうしても必要な前書きであった。なぜならこの革命の政治的原動力としては、エジプト国内の社会的要因が重要だっただけでなく、今日のわれわれにとってより重要なのは、1952年7月23日が、植民地支配を早急に脱し、外国資本の支配から祖国の潜在能力を解放するという、エジプト民衆の強い願望の真剣さを確認する象徴的な日だったということだからだ。
(後略)
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( 翻訳者:平川大地 )
( 記事ID:14458 )