コラム:イラク政府による汚職、不正の構造
2008年08月09日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ イラク、飢餓と数十億ドルの間で
2008年08月09日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP1面
【アブドゥルバーリー・アトワーン(本紙編集長)】
イラクの光景は、そのほとんどが絶望的な格差に満ちている。その中で、先週私の注意を引いたのは、イラク人歌手カージム・アッ=サーヒルがシリアのイラク難民を訪問した事だった。集まった子供達の顔は喜びに輝いていた。この、イラク芸能の象徴ともいえる歌手が、自分達の間に入ってその苦難に同情してくれ、異郷にある痛みを和らげようとしてくれている。一方で、「新生イラク」の為政者達の誰かが、シリアあるいはヨルダンを訪れ難民達の状況を視察したなどという話は聞かない。両国へ脱出した避難民は約400万に登るのだが。国際機関や地域団体は、マーリキー政府が、国外避難民となった国民への援助提供を拒否している可能性を疑っている。
前政権を倒しさえすればイラクの試練は終結すると、多くの人が考えた。豊かな資源、安定と人権の尊重をもって、その国は、国外に住む何百万ものイラク人に帰還を呼びかけるオアシスに変わるだろうと。しかし、全く正反対の事が起こった。我々は、何百万というイラク人が近隣諸国へ逃げていくのを目撃した。宗派、派閥間の暴力や抑圧から逃れるため、彼らは国連事務所や欧米各国の領事館窓口に列を成し、難民申請をするのである。
「選出された」イラク政府であるが、今やうず高く積み上げられた金の山のてっぺんでふんぞり返っている。米政府報告によれば、イラクの石油収入は年間約1560億ドル、結果として790億ドルの黒字を出している。また、欧米の銀行にあるイラク政府資金は、現在920億ドルといわれる。
恐るべき数字である。しかし一方で、イラクの新聞各紙は、バグダードの路上で一片のパンを乞う子供達のニュースを伝えてくる。三つにもならないような子供らが、炎天下の中、通行人や車の後を追って物乞いをするのだという。ある新聞は、支援物資を得るため福祉団体事務所前に集まった人々について書いているが、女性達はぼろを纏い、絶望、貧困、困窮、病の兆しが感じられた。その支援物資も4ヶ月間渡されていないのだという。
グリーンゾーンで、その豊かな暮らし、空調の効いた病院や食堂や住居を堪能している政府の太った猫たちが、この貧しき人々への同情を覚えているとは思えない。これら政府要人のほとんどは、亡命先から帰って来て、貧民の側に立つ、イラクを「プラトン式理想共和国」に変える、などという約束を散々誇張したのだった。
湾岸から北西アフリカまで、石油を有するアラブ国家の国民は誰でも、その富、つまり年々国庫に入る収益を享受している。イラク国民、その圧倒的多数だけが例外なのである。彼らは一片のパン、一箱の薬に事欠く暮らしをし、武装ギャング集団、宗派的民兵、あるいは米軍のため安全すら奪われている。
イラクは現代史上最大の強奪計画にさらされているのである。盗人の中には占領軍と共に帰ってきた者達がいる。BBCのテレビ番組「パノラマ」(報道特集)が明らかにした米公文書の数字だけで充分な証拠となる。国の石油収入から230億ドルが彼らに掠め取られている。現在のイラクは世界で最も腐敗した国だと番組は断定した。
この腐敗、汚職の結果は、ドバイの天文学的賃貸料の高層ビル、ロンドン、パリ、プラハといった欧州各都市の豪華なマンションや邸宅の形で、はっきりと目にすることができる。いずれも「新生イラク」要人の所有になるものである。それまでの彼らは、例えば英国で「社会保障」制度、あるいは貧困者救済制度に頼って暮らしてきたのだ。あたかも彼らは、富を盗み、自分達がかつて味わった貧困に陥れることにより、イラク国民に復讐しているかののようだ。
英国政府の難民支援に頼ってロンドンで暮らしていたイラク人一家をを個人的に知っているが、彼らは、故大統領の息子達や側近が贅沢にその富を浪費する祖国、イラクに涙していたのだ。この家族が、数百万ドルを自由にできるようになると、ダマスカスの一番贅沢なホテルで千夜一夜風の結婚披露宴を催すというので往復チケット付の招待状を知人らに送り、ホテルのワンフロアを全て招待客のために借り切ったというのに驚かされた。
このような人々に誰も清算を迫らない。法は不在で透明性などは存在しない。盗人が盗人に清算を要求するだろうか。尚悪い事に、誇り高い人々を飢えさせているこのような不正、腐敗状況を批判する人は、すぐさま「集団墓地に携わった者」などという糾弾を受ける。それも、イラク全土を集団墓地と化した人々によってである。
「民主主義、豊かさ、安全」というスローガンの元に破壊、腐敗、殺戮をもたらしたそのような人々を信じた時、イラク国民は彼らにとって史上最大の詐欺にあったのだ。5年がたち、気づけばその地域で最も惨めで貧しい国民になっていた。
イラクの債務を帳消しにするよう、米政権が湾岸諸国に迫った。UAEが一番にその圧力に屈し、要請に従った。クウェイト、サウジなどはまだこれを「検討中」である。うなるほど金がある国に対し、何故債務を免除しなくてはならないのか、その理由が問題である。一方で、イラクが2005年から07年までの間復興事業に費やしたのは40億ドルにも満たない。イラク国民に職を、医療を教育を、電気水道をもたらすはずの復興事業である。
政府は、内外の国民には少しも関心を向けていない。彼らが熱心なのは、親戚を要職に就け、助成金だの渡航許可だのを与え、高い給料を払ってやることである。こうして役職と給与を与えられた人々は、かつての亡命先へ戻りたがる。もちろん難民としてではなく、上級公務員としてである。
新たな集団殺戮をおかし、様々に理由をつけ先人達を拷問や殺戮で打ちのめした罪人たちを裁くのと同じく、イラク国民は、これらの盗人、富を乱費し職権を乱用する人々をも裁くべきである。
イラクの子供達が猛暑の太陽の下でパンを物乞いするなどという状況は、この気高い国が、13年以上にわたるアメリカの経済封鎖にあうまで発生しなかった。今、そのような子供達と彼らの家族について、アメリカの放送局「アル=フッラ(フリーダム)」がどのように伝えているかを見た人は、その為政者達と占領者達、双方によるイラクの悲劇の一側面を理解するだろう。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:14468 )