コラム:追悼、マフムード・ダルウィーシュ(パレスチナ詩人)
2008年08月13日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ その死は象徴である
2008年08月13日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HPコラム欄
【アブドゥルワッハーブ・アル=アウディ(在英イエメン人ライター)】
韻律詩の中で偉大な詩人マフムード・ダルウィーシュは、「死よ、おまえの負けだ!」と宣している。その詩を聴いたり読んだりするのは簡単なことだ。しかし、その詩人が、苦痛と病に果敢に耐え、長きに渡る闘いと抵抗の末に実際に亡くなったというニュースを聞くのは忍びない。まして、マフムード・ダルウィーシュ(彼にアッラーの慈悲あれ)を悼む文を書くなどやるせない。彼こそ誰よりも悼む者であった。病と抑圧と占領に頑として抵抗し続けた。抑圧に対しては詩という剣をもち、弾丸に対しては言葉と象徴をもって、その年月のほとんど、あるいは全生涯を抵抗に費やしたマフムード。
最後の瞬間まで彼は、痛みを飼いならし死の一枚上手を行っていた。だから、その心臓を開いた医師達は手術の成功を伝え、8月9日付本紙も含めパレスチナ、アラブの各紙が、朝にはそう報じていた。彼のファン達への朗報を載せた新聞が印刷所から出た途端、我々は逆のニュースを知らされた。合併症に手の施しようがなかったと。
マフムード・ダルウィーシュは断じて死んではいない。そのようにあっけなく、彼が死ぬことはないだろう。(多くの人同様)私も、ほんの少し前ジャジーラ放送の生中継を見たばかりだ。ラーマッラーで、詰め掛けた聴衆を前に、素晴しいウード演奏を伴って、彼は永劫の生の鼓動に満ちた詩を詠んでいた。その夕べを一人で楽しむのが勿体無くて、私は友人に連絡して見るように勧めたほどだ。
それに先立つ5年の間、私はアラブ反戦詩に熱中しており、彼のニュースやその詩作品は私にとって重大な関心事だった。この分野でのマフムードは正に讃えられるべきである。現在印刷中の私の著作『現代アラブ反戦詩辞典』にも彼の偉業は含まれている。少し前の本紙で、詩人でもある編集者のアムジャド・ナーシルは、ダルウィーシュの最新作を私達に紹介してくれた。最後の作品となった三篇の詩は、「地図に無い鉄道駅について」、「バックギャモン・プレイヤー」、「用意されたシナリオ」であった。
今は亡き詩人は優れた抵抗詩人であった。60年以上もの間、メディアは彼を、「出来事」であるかのように扱ってきたが、彼の詩が存在と生、愛と美に満ち、その主題が哲学、詩学、美学の集積である以上、彼はあくまで詩人であり、そのように見て欲しいと(最後に出席した世界音楽祭を通じ)、詩人は読者達に求めた。そのように求めるまで彼は、死を寄せ付けなかった。
親愛なるマフムード、あなたは死んではいない。私達が訃報を聞き、読む、そのような安易さであなたは死なない。あなた自身の言葉で、死に対する勝利宣言がなされているのだから。
「死よ、おまえの負けだ。
芸術の全てがおまえを打ち負かした。
メソポタミアの歌が、エジプトのオベリスクが、
ファラオの墳墓が、神殿の壁画が、
おまえを敗北させた」
正に死は、勇猛な戦いの徴に満ちた生によって、そして、忘れえぬ詩によって負かされた。
あなたは死に勝ったのだ。
メディアの中で、あなたは象徴・ニュースとして死んだ。
それを報じる一方でメディアは、あなたの詩という永遠の生命を世に広め続ける。
死してなお生きるあなたに、愛をこめ平安を祈りつつ。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
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