創造主に赦しを求める人々:ベラト・カンディルに際し
2008年08月17日付 Zaman 紙

「罪、過ち、報い、そして重荷からの救済」を意味するベラト・カンディルの夜に、モスクはムスリムたちであふれた。

カンディルの興奮とそれがもたらす来世的な感動を体感したいと望む何百万もの信者は、トルコ国民としていつもより一層団結と協同の必要性を感じる今、その実現のために創造主に祈った。
神からカンディルの名前で呼ばれる赦しと慈悲を望む多くのムスリムは、「12か月のうち最も良い」とされるラマザン月を迎えることができるよう祈りを捧げる。目に湛えた涙によって信者たちは至高の創造主にさらに近付いた。

イスタンブルではエユプスルタンが、カンディルが興奮を持って迎えられる第一の場所である。午前中から訪問者が引きも切らないエユプスルタンでは、昼過ぎから、業者や市当局によってアイラン、ピラフ、菓子、ロクムが配られた。

ラマザン月の前に祝われる最後のカンディルは、世界の様々な国やトルコ各地からも多くのムスリムたちを集めた。
アマスヤのスルオヴァからエユプを訪れたアフメト・セクメさんは、イスラーム世界のカンディルを祝った後に、「私たちは神の赦しを求めて来ました。昨年の反省を今明らかにします。罪から救われるかは神のみぞ知るところですが」と述べた。
エユプスルタンの訪問者の一人であるニハト・ギュネイさんは、カンディルの興奮と一体感はトルコの今日の課題にとってよい手本となりますと述べる一方、ドイツからやってきたハサン・ハジュアフメトオールさんは「このカンディルとその先のバイラム(祭り)が人類に平和と恩寵をもたらしますように」と語った。

エユプスルタン・モスクでは[モスク内で礼拝の]場所を見つけるのが難しかったため、人々は礼拝用のラグを地面や芝に広げたが、そのため大通りや街路の交通が遮断されてしまった。日没後の礼拝が終わっても人々は去らずに、夜遅くまで祈りを捧げ、悔い改めていた。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:14514 )