文化省映画ライブラリーにユルマズ・ギュネイ監督作品、なし
2008年08月24日付 Radikal 紙
1960年以降に撮影されたほぼすべての映画が保管されている文化省のライブラリーに、トルコの世界的に最もよく知られている監督であるユルマズ・ギュネイの映画は置かれていない。ライブラリには約6,700の映画と45,000近いカセットテープやCDがある。
文化省のライブラリーは、イェシルチャム(トルコ映画産業)から今日までのトルコ映画や、生活のあらゆる分野のドキュメンタリーとトルコで出たあらゆる音楽カセットにより、映画と音楽の発展を証明している。文化省のアンカラにあるアタテュルク文化センターの建物の下にあるライブラリーには約6,700の映画フィルムが保管されているが、その中にユルマズ・ギュネイの映画は1つもない。
古いものから新しいものまであらゆるトルコの映画でもって一種のトルコ映画史を作るライブラリーについて、アブデュルラフマン・チェリキ著作権・映画局長が明らかにした情報によると、文化省のライブラリーには、今までに登録手続きをされた約6,700近い35mm映画フィルムに加え、2万近いCD、2万2千から2万5千近いカセット形式の音楽作品がある。
ライブラリーの最も古いフィルムは、メムドゥフ・ユンの1960年の作品「壊れた鉢」である。さらに、メティン・エルクサンが1962年に撮影した「蛇の復讐」、ハリト・レフィーが1964年に撮影した「流浪の鳥」、1966年の作品「ああ美しいイスタンブル」、1967年の作品「クズルウルマク・カラコユン」、アイハン・ウシュクの演じた1968年の作品「プラムの花が咲いた」も無傷でライブラリーに保管されている。
オリジナルのポスターが国民図書館にあるアトゥフ・ユルマズの「赤いスカーフの愛しの人」のフィルムと、この監督による、ミュジデ・アルが演じた「ああベリンダ」と「アスィイェはいかに救われるか」と「偽の花嫁」のフィルムもライブラリーに保管されている。
ライブラリーの映画フィルムはただ棚に置かれているだけではなく、世界を巡っており、トルコ映画を40以上の国に紹介している。チェリキ局長は、ライブラリーでは年に約350のフィルムが流通していることを明らかにし、今年の上半期でトルコの映画が約40の国で公開されたと述べている。国外で上演されるフィルムには英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、日本語、アラビア語の字幕がつけられており、複製が送られているためオリジナルが失われる危険性はない。
もっとも多くの言語で字幕がついている映画は、スッル・シュレイヤ・オンデルとムハッレム・ギュルメズによる「インターナショナル」である…さまざまな映画祭の賞に加え、第14回アルトゥン・コザ映画祭から6つの賞を受けたこの映画は、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、アラビア語、スペイン語の6つの言語で字幕がつけられた複製がある。またバルシュ・ピルハサンの「アダムの列車」、ビケト・イルハンの「青い目の巨人」、オメル・クズルタンの「タクヴァ」とデルヴィシュ・ザイムの「楽園を待ちながら」というタイトルの映画が4つの言語で、アブドゥッラー・オウズの「幸福」とメムドゥフ・ウンが撮影した「ありえないもの」というタイトルの映画も3つの言語で字幕がつけられている。
ライブラリーは同時に、有名な監督たちの、監督としての冒険心の展覧会のようでもある…トルコ映画の作者の一人オメル・カヴルの「鬼ごっこ」「母国ホテル」「夜の旅」「時計台への旅」、ハリト・レリの「叔母」「私を助けて」、ヤヴズ・トゥルグルの「影絵芝居」、シェリフ・ギョレンの「力」、トゥンチ・バシャランの「ゆっくり、ゆっくり坊や」、フェルザン・オズペテキの「ハマム」「ハレムの夜会」、オメル・リュトゥフィ・アカドの「娼家の愛しき人」、デルヴィシュ・ザイムの「ゾウと野草」、ゼキ・デミルクブズの「無垢」、チャーン・ウルマクの「父と息子」、ユクセル・アクスの「おれのアイスクリームはおいしい」といった映画が、ライブラリーの棚に監督たちの作品目録を表すように並んでいる。しかし、ユルマズ・ギュネイの映画はひとつもライブラリーにないことが明らかにされた。
1983年以降の作品が完璧にそろっているライブラリーには、1968年から71年の学生運動とキプロスに関する1963年から74年の映像に加えて、アタテュルクの映像もある。ドキュメンタリーの中に、アタテュルク時代の共和国記念日の式典、独立戦争の間のアタテュルクと戦友とともに偉大な指導者の死後に遺体がアタテュルク廟に移送される模様といった映像がまだ保管されている。さらに、1920年の作品「アタテュルクのフィルム」およびアビディン・ディノが1933年に撮影した「トルコの心臓アンカラ」というドキュメンタリーでは、アタテュルクの記憶に止めるべき映像が、未来の世代にも見せられるように保管されている。
アブデュルラフマン・チェリキ局長は、1983年以降登録作業が必要になったため、ライブラリーに1983年以降に出されたすべての音楽作品とトルコ映画のコピーが完璧にそろっていることを明らかにし、ライブラリーが技術(の進展)に合わせてデジタル環境に移されはじめたことも付け加えた。
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( 翻訳者:永山明子 )
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