パレスチナ詩人マフムード・ダルウィーシュ、闘病の末亡くなる
2008年08月10日付 Al-Ahram 紙

■ 偉大なるパレスチナ人詩人、マフムード・ダルウィーシュ逝去

2008年08月10日付アル・アハラーム紙(エジプト)HP1面

【エルサレム、諸通信社】

 抵抗の詩人、パレスチナのマフムード・ダルウィーシュ氏が昨日、闘病の末67歳で亡くなった。米テキサス州ヒューストンのテキサス・メディカル・ヘルマン記念病院で行われた心臓手術の後に生じた、深刻な合併症によるものだった。

詩人マフムード・ダルウィーシュは、現代パレスチナ詩人の中で最も重要な1人とみなされ、愛国的感情を燃え上がらせる多数の詩集が出版されている。また作品の多くは約22の言語に翻訳されており、国際的な賞をいくつも受賞している。

20代初めからダルウィーシュ氏の名声は広まった。イスラエル警官に語りかけるスタイルの『身分証明書』という彼のよく知られた詩は、1967年のイスラエルの占領に対する人々の挑戦の叫び声になった。彼の遺作は『今から君は君でなくなる』という詩で、パレスチナ人同士〔=ハマースとファタハ〕の争いを批判して6月の半ばに発表された〔訳注:正確にはこの作品が発表されたのは昨年の6月であり、今年7月に発表された『用意されたシナリオ』および『バックギャモン・プレイヤー』が遺作とみなされている〕。もっとも知られたダルウィーシュ氏の詩集は、1964年の『オリーブの葉』と、1966年の『パレスチナからの恋人』である。

ダルウィーシュ氏は1941年にアル=ビルワ村で生まれ、村が破壊された1948年に家族とともにレバノンへ逃れた。1972年にモスクワへ出国、そこからカイロに移った。ダルウィーシュ氏は、パレスチナ研究センター長や、雑誌『パレスチナ問題(シュウーヌ・フィラスティーニーヤ)』の編集長などを歴任、1993年にはオスロ合意に抗議して、パレスチナ解放機構(PLO)の執行委員を辞職した。1996年にイスラエル当局がパレスチナ領への入国を許可したため、ラーマッラーが最後の居住地となった。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:平寛多朗 )
( 記事ID:14578 )