シーラーズの少年、死刑に
2008年08月10日付 E'temad-e Melli 紙
16歳の時に殺人を犯し、ファールス州刑事裁判所第5法廷からキサース刑〔同害報復刑、ここでは死刑〕の判決を受けていたアミール・アムロッラーヒー死刑囚が、司法権長の刑執行許可を受けて、シーラーズ検察庁判決執行局に送られた。
1384年アーバーン月28日〔2005年11月19日〕11時30分、アミールと彼の二人の友人ハサンとアリーがシーラーズのアーザーデガーン通りにある、とあるナーン屋の前にいたときのこと、彼らは偶然モフセン・カーゼミーとその友人ジャヴァードと鉢合わせをした。アミールの友人とモフセンはひょんなことからにらみ合いを始め、子供のケンカへと発展していった。
アミールは彼らの仲裁に入り、友人のアリー・サルマーニーから彼が所有していたナイフを取り上げた。もしもの時に、自衛と威嚇に使おうと考えてのことだった。モフセンがアミールを殴ってきたので、アミールはもっていたナイフをモフセンに見せ、脅して追い払おうとした。しかしモフセンは逃げることなく、さらにもう一発アミールの顔を殴った。
アミールはもっていたナイフでモフセンの顔に切りつけると、モフセンは再度アミールの方に近づいてきたため、アミールはついにモフセンの右胸にナイフを刺して殺害した。
〔中略〕
裁判の結果、アミールにはキサース刑〔同害報復刑、ここでは死刑〕が言い渡された。アミールの身柄が判決執行局に送られると、本件は司法権長の最終的判断に委ねられた。そして司法権長は、犯行時16歳だった少年の死刑を承認したのである。これに対してアミールの弁護を務めたモハンマド・モスタファーイー弁護士は、アミールに対する判決には問題点が多く、死刑(キサース刑)判決の執行には疑問を感じざるを得ないと訴える。
〔中略〕
モスタファーイー弁護士は、次のように指摘している。
裁判にかかわった裁判官らが残念ながら見落としている、極めて重大な問題がある。それは、1372年〔1993/4年〕に子どもの権利条約が国会で審議され、その後賛成多数で批准されたことである。その後この条約批准は、護憲評議会に送られ、条件付きで承認されている。
〔中略〕
子どもの権利条約の第37条は、締約国に対して、「18歳以下の者が犯した罪に関して、死刑ないしは釈放の可能性のない終身刑を科してはならない」と規定している。つまり、弁護人に対して命を奪う判決(キサース刑)を下すことは、明確な法律違反なのであり、判決文にはこの点で欠陥があるのだ。
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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:14607 )