宗務庁長官、断食したかしないかの言い争いは見苦しい
2008年09月02日付 Yeni Safak 紙

アリ・バルダクオール宗務長官は、ある人が断食したかしないかについて、社会的なプレッシャーにさらされていることに対して「異常なまでに醜いこと」と位置づけた。

ある人が断食をしたかしないかについて、社会的なプレッシャーにさらされることを、「異常なまでに醜いこと」と特長付けたアリ・バルダクオール宗務長官は、トルコは自由国家であり、礼拝をする人がしない人に対し、断食をする人がしない人に対し、また宗教が義務と定めていることを実践する人がしない人に対し、今日までいかなる圧力もかけて来なかったと述べた。 トルコ国民は何世紀にもわたって築かれた寛容さをもっていることを強調したバルダクオール宗務長官は、生じた個々の出来事がメディアを通じて社会のせいにされていることは間違いであると述べた。

■ コーラン学校は閉鎖不可
人々がお互いに絶え間なく非難し、告発し、排除することは正しくないと強調するバルダクオール宗務長官は、「あることに対して間違っている、宗教上の罪悪である、 もしくは宗教的義務である、というのであれば、この説明を我々に要求し、責任を我々にとらせてください。私達は気まぐれに、ある人について怒っているからといって、もしくはあるひとを好きだからといって、こう話すということはできません。私たちの任務は、イスラームの正しい知識を人々に正しい形で、壊さず歪めずに、歪曲せずに伝えることです」と述べた。

コーラン学校の閉鎖を望む人々へも、厳しい言葉で非難したバルダクオール宗務長官は、「もし、『コーラン学校はあってはならない、コーラン学校の存在はトルコが徐々に暗黒時代に後退するサインだ』と考えられているなら、甚大な権利の侵害がなされています。宗務庁管轄下にあるコーラン学校数の増加は、この社会にとって喜ばしい進展です」と述べた。バルダクオール長官は、一部の国民は子どもたちが幼いときにコーランとイスラームの基礎知識を習得することを正しいと思わない可能性があることを明らかにし、トルコではコーラン学校は義務でないこと、またそれを望まない国民の子供たちはコーラン学校に行かされていないと話した。同長官は、「ある人が、『私の子どもは18歳以下でこの学校に行ってはならない』と考えるならば、自分の子どもをそのように導きなさい。人々は見解を自由に反映できるのですが、他人も同じようにしなければならないとはいえないのです」という見解を述べた。

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( 翻訳者:大田垣綾子 )
( 記事ID:14624 )