メンデレス元首相処刑を受け入れられなかった 子どもたちにメンデレスと名づけ
2008年09月17日付 Zaman 紙
47年前の今日9月17日、「5月27日クーデター(1960年クーデター)」によって政権の座を追われたアダナ・メンデレス元首相が処刑された。彼の側近であるファティン・リュシュトゥ・ゾルル外務大臣とハサン・ポラトカン財政大臣もメンデレス元首相の前日に処刑された。
民主主義の歴史に「暗黒のページ」として刻まれたこの処刑は、国民の良心をも傷つけた。彼らの処刑を受け入れられない人々は、このことを忘れないよう子供たちに彼らの名前をつけた。このうちの一人がアダナのニハト・バシュ氏である。同氏は2人の息子をメンデレスとハサン、娘はメンデレスの妻と同じベリンと名づけた。民間機関で契約社員として働いている44歳のメンデレス・バシュ氏は、彼の父親が亡きメンデレス首相に言い表せないほどの大きな敬愛の情を抱いていたと説明している。バシュ氏はこう話していた。「私は長男として誕生しました。そして、メンデレス氏の名前がつけられました。弟にはポラトカン氏の名前が、妹にもベリンという名前がつけられました。もしもう一人息子がいたなら、ファティンと名付けられたでしょうね」。アダナ出身の56歳のハルン・バシュ氏は、敬愛を他の方法で表している。祖父と父が残した、処刑についての新聞や雑誌の切り抜きを「教訓の書」として長年にわたって自分の喫茶店で展示している。
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( 翻訳者:牧 史織 )
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