メディア各社、PKKのアクチュチュン襲撃テロを検証
2008年10月07日付 Zaman 紙
ハッキャーリ県シェムディンリ郡のアクチュチュン国境警備所が5度の襲撃に遇い、15人の兵士が殉職したことは、メディアで議論の的となっている。
1985年から現在まで国境警備所に繰り返し行われた襲撃からなぜ学ばなかったのか、と問うコラムニストたちは、いくつかの点を明らかにすることを求めた。各新聞社が答えを求めた質問のいくつかは以下のものである:
クルド労働党(PKK)の350人のテロリストが来たのがなぜ目撃されなかったのか?
テロリストが地域へ運んだ重火器、攻撃の準備はなぜ確認できなかったのか?
暗視望遠鏡、熱感知装置、無人スパイ飛行機はなぜ役に立たなかったのか?
アメリカ合衆国から手に入れたとされる情報は本当に言われているほど有効なのか?
深刻な地域で任務を行っていた兵士たちはなぜ防弾ベストを着ていなかったのか?
警備所に行われた増強はなぜ不十分だったのか?
攻撃を受けた警備所はもっと守られなかったのか?
アクチュチュン警備所の場所はなぜ変えられなかったのか?
アクチュチュンそして別の警備所が何度も襲撃されたにもかかわらず、なぜ職務怠慢の報告が禁止されていたのか?
去年襲撃にあったダールジャの司令官はなぜ栄光のブローチを授与されたのか?
■ 情報共有は終わりとなったのか
ジュネイト・ウルセヴェル(ヒュッリイェト紙)
同じ警備所が5度も繰り返し襲撃に遇ったことは、トルコ軍の弱点を提示していないのか。大規模にテロリストと共に襲撃を行った者は、監視網をどのようにかいくぐったのか。アメリカとの情報共有に何が起こったのか。あるいは共有期間は終わったのか。昨年冬我々はPKKに対して大成功をおさめた、と言われるが、PKKはそれほど大きな打撃を受けていなかったのだろうか?
■ 闘いは殉職者の数ではかれない
ムラト・イェトキン(ラディカル紙)
政府は、クルド労働党(PKK)とクルド人差別、クルド問題の対策を全く変えないのだろうか。「闘いの成功を殉職者の数ではかることはできないが、そうでもしなければ(かつての)チャナッカレ(での激闘の模様同様、その様)を説明することは出来ない」という文章がどれ程つらく、悲しい現実であるかということに気づかないのだろうか。闘いの人的(問題の)側面、民主的な(問題の)面は全く議論されないのだろうか。
■ 国民はもはや満足しない
セミフ・イディズ(ミッリエト紙)
イラクに出された警告通知は、テロとの闘争委員会の招集で十分とはいえまい。事実は、深刻な問題が存在しており、現在の方法でこの問題の解決はないということだ。PKKが多人数で以前標的となった警備所を襲撃し、15人の兵士が殉職したことは、審問を要するおそろしい事件である。
■ 情報に非があるのか
メフメト・バルラス(サバフ紙)
アクチュチュンがもし守るのが不可能な場所にあるならば、以前の襲撃の後なぜ状況評価がなされなかったのだろうか。この地域の防衛における弱点を克服する措置がなぜとられなかったのだろうか。情報活動の中で非があったのか、だからこれ程大きな損失につながる襲撃が、現実となった後にのみ初めて判明するとでもいうのか。
■ テロリストたちは楽に活動を行っている
メフメト・アルタン(スター紙)
16年間アクチュチュン警備所が繰り返し襲撃に遇い、これ程殉職者を出すとはどうしたことだろうか。武装グループは、15人もの兵士を死に至らせ、20人を超える人々を負傷させ、2名をおそらく連行しており、いかにしてこれ程楽に活動を行いうるのか。国境外ならともかく、国境内で何度も襲撃を受ける警備所をなぜ守れないのか。
■ 動向追跡にもかかわらず、襲撃を受けた
ネジャティ・ドール(ヴァタン紙)
国境の10キロ先で300人のテロリストが真昼間に集まることができる。テロのキャンプに対し戦闘機が継続的に攻撃し、おそらく標的となるトルコ兵力が強化され、バイラクテペ警備所へ軍警察特別チームが送られ、砲撃と2機のヘリコプター隊で「越境追跡」が行われ、こうしたすべてのことにも関わらず、襲撃は防げなかった。
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( 翻訳者:白石百合子 )
( 記事ID:14854 )