1922年に殺害されたジェマル・パシャのドラマ 
2008年10月11日付 Milliyet 紙

アルメニア人活動家らに1922年に殺害されたジェマル・パシャが、手紙で「アルメニア人保護」をエンヴェル・パシャに強く訴えていたことが明らかとなった。

ジェマル・パシャはエンヴェル・パシャに送った電報で、アルメニア人を守るために「強い指示」を望んだ。

ジェマル・パシャはアルメニア人活動家により1922年に「アルメニア人虐殺の決定を下した一人である」として殺害された。しかし今回、彼が1915年に第4師団司令官であった当時、副総司令官であったエンヴェル・パシャに「追放されたアルメニア人の生命・財産・名誉を守る」よう、強い調子で訴えていたことが明らかになった。

参謀本部が、アルメニア人虐殺があったとする主張に対して、2006年に始めた「オスマン古文書館所蔵資料とアルメニア人の活動」という(出版)事業は、第8巻の出版により完結した。その第8巻では、ジェマル・パシャが1915年7月3日にエンヴェル・パシャに送った「極秘かつ親展」扱いの電報で、特定の地域から追放されたアルメニア人に関して次のような訴えが見受けられる。
「中立国家や報道機関がアルメニア人問題を取り上げはじめたように思います。さらに彼らがキリスト教徒であるために、ドイツ人までも誤った情報に踊らされていると、人々の話や遠回しな言い方から感じられます。アルメニア人が追放される際、これに対して攻撃がなされたなら、国家の利益にとってマイナスになることは明らかです。こうした事態が広がるのを防ぐため、以下の措置が取られることを提示、提案します。

■ 強い指示を出してください
1. 第4師団管区から追放されたアルメニア人の財産・生命・名誉を完全に保証するよう、我々の側から関係者にはっきりと指示を出しました。他の地域や州でもこの問題にきちんと重要性を与え、追放されるアルメニア人の安全とあらゆる攻撃からの保護を保証するため、特にあなたの側から強い指示を出していただくようお願い申し上げます。
2. ドイツ人が、ベルギーで住民退去措置を行ったことへの反発に対し、彼らが自衛の目的で出した通達のように、キリスト教世界や海外の世論に対して、オスマン政府の側から文書による詳細な通達によって問題をはっきりさせる必要があると思われます。この通達で、アルメニア人と彼らが戦時下に国家に対し背信行為を行った場所、その事件、関わった人物などを公表し、政府の側の措置が国防のためであったこと、そしてこれが必要であったと理解されると考えております。

■ 暗号への返事
ジェマル・パシャが暗号で送った電報に対し、エンヴェル・パシャが1915年7月22日に送った返事には、「アルメニア人について必要かつ正しいと証明された文書が、各大使を通して関係者に伝えられ、外国の新聞にも掲載されました。この文書の写しは郵便で送られました。追放となった者の財産と生命が守られることが伝えられました」と述べられていた。

■ ジェマル・パシャとは?
ジェマル・パシャことアフメト・ジェマルは、1872年ミディリに生まれた。1808年から1918年の間、統一と進歩委員会のエンヴェル・パシャ、タラト・パシャとともに重要な指導者の1人であった。この時代は後に「3パシャ政権」と呼ばれる。オスマン帝国が第一次世界大戦に敗北した後、国外に逃亡したジェマル・パシャは、1922年7月21日にトビリシ(グルジアの首都)でアルメニア人活動家によって計画された暗殺によりその生涯を終えた。ジェマル・パシャはミッリエト新聞の記者ハサン・ジェマルの祖父にあたる。

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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:14880 )