法務大臣が謝罪した取調中の拷問死事件-問題の看守、依然特定されず
2008年10月19日付 Radikal 紙

エンギン・チェベル氏が殴られるのを目撃した受刑者たちは次のように説明した。「彼らは、頭を扉と鉄の換気口に何度もぶつけた。エンギン氏は床で小さくなり、いびきのような声をだしていた。」

エンギン・チェベル氏がメトリス刑務所で死亡する前に収容されていたT2監房での拷問に満ちた2日間も明るみに出た。10月9日に「私たちは何も見なかった」と述べた5人の受刑者は供述を変え、チェベル氏を死に追いやった虐待とその日のことを説明した。「4人の職員がエンギン氏を5-6分間殴った。首筋をひどく叩き、頭を監房の鉄製の庭の門にぶつけた。」

チェベル氏と3人の仲間は9月28日に逮捕され、イスティニイェ警察署で殴られた後、収監された。メトリス刑務所に入れられる際、憲兵たちによって殴られた。3人の若者は最初仮の監房にともに収容され、10月5日に各自監房に振り分けられた。チェベル氏の死後、彼が警察署でも仮の監房でも拷問を受けたことが明らかになっていたが、10月7日に意識を失った状態で出されたT2監房での最後の2日間については知られていなかった。10月9日に検察官に供述した監房の仲間たちが、「何も見なかった」と述べていたからである。

■ 最初は罵りと蹴り

法務省が19人の刑務所職員を解雇すると、チェベル氏と同じ監房に収容されていたファフレッティン・デミル氏、イブラヒム・クルチ氏、クヤセッティン・シャキルオール氏、ムラト・ゲヴレキ氏、シュクリュ・ゼレン氏の供述が10月15日に再び聴取された。

クヤセッティン・シャキルオール氏の供述によると、暴行は10月6日に始まったという。理由は、チェベルが朝の点呼で立ち上がらなかったことであった。「チェベル氏が点呼に参加しないと2人の看守がチェベル氏の腕をつかみ、立たせようとした。チェベル氏が立ち上がらないと2人のうち1人が「母親と妻を犯すぞ」と悪態をついた。看守が拳で彼の右肩を叩き、もう1人の看守は左足の膝から下の部分を1・2回蹴った。」

イブラヒム・クルチ氏も同様の暴力を目撃していた。「チェベル氏はバイラムの2日目に自分たちの監房に来た。その時には体の様々な箇所に傷跡があった。10月6日に刑務所の職員が点呼のためにやってきた。2人の看守がチェベル氏の顔に2・3回平手打ちをし、『明日の点呼にも立つな、またな』と言った。」

■ 最後の日…

チェベル氏を死に追いやった暴行は、その次の日に行われた。彼らが目撃したものは、イブラヒム・クルチ氏を非常に怖がらせた。「朝の点呼で10-15人の護衛官が監房に入った。チェベル氏は椅子に座っていた。点呼に答えなかった。4人の職員が彼を手と拳で5-6分殴った。首筋を何度も殴った。2人の職員がチェベル氏の服を掴み、頭を1・2回壁にぶつけた。エンギン氏の後頭部を壁にぶつけた。頭を監房の鉄製でその時は閉じていた庭の門にぶつけた。何度ぶつけたかはわからない。その後、私たちが監房の下の部分に下りるとチェベルは仰向けに床に倒れていた…。目は開いていた。いびきに似た声を出していたので、癲癇に陥ったのではないかと考え玉ねぎの匂いを嗅がせた。」

チェベル氏が殴られるのを他の逮捕者も見ていた。ファフレッティン・デミル氏である。デミル氏は、このため「心理状態の混乱とパニックによる不安に陥った」と述べている。チェベル氏を一番最後に看守たちの拳の間で見たのを記憶しているという。「2人の刑務所職員がエンギン氏に蹴りと平手打ちをし始めた。首筋を打たれたエンギン氏が前にまっすぐ傾いたのを見ると見ていられず上にのぼった。このときユルマズという名の看守が『やめろ、もうやるな』と止めようとしたが、止めることはできなかった。首筋を拳で殴られたエンギン氏は動かず、生気がなく意識もないように思えた。」

シャキルオール氏によると、死への殴打は換気口でも続いた。「換気口を見たとき、チェベル氏の体が横向きに倒れると、2人の看守が蹴った。この出来事は5分間続いた。」

■ 「その後」

チェベルを医務室に移したのはシュクリュ・ゼレン氏とムラト・ゲヴレキ氏という2人の囚人であった。ゼレン氏の証言は次のようなものである。「チェベル氏は換気口の扉に近い部分で寝ていた。呼吸するのが困難なようだった。私服の所長だと思われる人物は、『今後立ち上がって点呼を受けない者は皆このような罰を受けることになる』と言っていた。エンギンが倒れている時、目は半分開いていた。癲癇の発作だと思って玉ねぎのにおいを嗅がせた。彼の顔を洗い、呼び出しボタンを押した。5・6分後職員が来て、私たちは彼を医務室に運んだ。医師が来て、病院に送った。私たちも受刑者を受け入れる所まで運んだ。」

証言のあと囚人たちに「なぜ以前は不十分な供述を行ったのか」という質問がなされた。目撃者たちは、「本当のことを言ったらそれによって不利益を被る職員たちが私になにかひどい事をする可能性を考えたからだ」と答えた。彼らは、新たに供述した理由として次のように述べた。「最初の供述の後監房に帰り、良心が痛んだので…。」

■ 「彼らは逮捕されるべきだった」

エンギン・チェベルの弁護士、オヤ・アスラン氏は、職からはずされた看守たちが逮捕されることを望んでいが、それが認められなかったと明らかにして、次のように述べた。「明白な死亡事件がある。逮捕を望んだ。しかし『まだはっきりしていないのに、誰を逮捕するというのか』という答えが返ってきた。『現在証拠を収集している。その後で容疑者が明らかになるだろう』と言われた。」

■ 看守名簿がある

「しかし、刑務所での点呼時に、仮の監房にいて日々の点呼を行う看守の名簿は明らかになっている。つまり、実際には容疑者ははっきりしているのだ。監視カメラによる記録もある。しかし検察側は容疑者不明といっている。容疑者は明らかである。」

エンギン・チェベルと、彼とともに逮捕された3人がイスティニイェ警察署で殴られたことに関して、サルイェル共和国検察局が19人の警察官に関して事情聴取を続けている。事情聴取で供述を取られた警察官たちは、チェベルと仲間たちが自分たちに抵抗したため「それ相応の」実力行使を行ったと述べていた。警察官の供述調書での書き間違えさえ同じことは、供述が「切り貼り」によって複製されたことを明らかにした。

■ ヨーロッパでも謝罪

トルコで行われたある会議に出席したヨーロッパ評議会の専門家ベルテル・オステルダル氏もチェベルの死後政府が敏感に対処したとし、「ヨーロッパのどの国でもこのような事件が起こったら、政府の反応は同様で、トップが謝罪したはず」と話した。

■ 既知の提案:単発的な事件

(メフメト・アリ・)シャーヒン法務大臣は拷問に関して謝罪をした一方、刑務所と拘置所を総轄するニザメッティン・カラマン局長から既知の説明がなされた。カラマン氏は、「このようなことを制度上のものとして認めることはできない。これは単発的な事件である」と述べ、次のように続けた。「エンギン・チェベル氏の事件を制度上生じた拷問とするのは無理だ。このような事件を制度上のものとして受け入れられない。単発的な事件である。組織や全職員に広げるべきではない。一部職員の無神経さに基づく、決して認めることのできない事件である。ひとりの人間のその日の心理状態はこうした結果を生み出しうる。それは阻止できない。教育を行って、こういったことをなくさなければならない。刑務所で拷問という言葉さえなくさなければならない。」しかし最近の首相府人権局の報告書によると、昨年1年間で刑務所での人権侵害は大きく増加したことが明らかになっている。

■ シャーヒン法相:警察署の状態も明らかに

シャーヒン法務大臣は昨日(18日)イスタンブルで新聞記者の質問に答え、次のように述べた。「法務省の責任は刑罰の執行機関におけるあってはならない行動と関係している。前段階は警察に関係している。ベシル・アタライ内務大臣が監査官を任命した。サルイェル共和国検察局での正反対の証言と関係する報告もあり、事情聴取が継続されている。監査官の聴取終了後、先の出来事に関する進展も明らかになる。メトリス刑務所に関する問題を数日前に世論と共有した。まだ報告書は整えられていない。最初の報告書では、ご存知のように19人が職を解かれた。事情聴取は続いており、私たちもまだ報告書を手にしていない。(1人の看守が別の罪で2年半の懲役となったことに関して)法務省の監査官はこの問題も調査している。報告書が来たらこの問題についてあなた方にも伝えるが、まだ来ていない。」

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:14934 )