ズベイデ・ハヌムの墓石、68年ぶりにイズミル考古学博物館で公開
2008年10月28日付 Zaman 紙

アタテュルクの母であるズベイデ・ハヌムの墓石(石碑)が68年ぶりにイズミル考古学博物館で公開された。ザマン紙主筆のムスタファ・アルマアンが10月12日付で執筆した「ズバイデ・ハヌムの遺言は実行されたのか?」というコラムに博物館館長が目をとめたことで、博物館の倉庫で保管されていた墓石が日の目を見る運びとなった。

(イズミル郊外の)カルシュヤカにあるズベイデ・ハヌムの墓の上に、1940年大きな岩の一部が乗せられたのち、石碑は、当時博物館として使用していたバスマネ地区のアヤヴクラ教会に置かれた。そして1955年、イズミル考古学博物館の倉庫に保管されていた。石碑にはアタテュルクの妻であるラティフェ・ハヌムの命によって次のような文言が刻まれた。「神は永遠に。我らの父、大統領ガーズィー・ムスタファ・ケマル・パシャの御母堂である敬愛なるズベイデ・ハヌム。その魂に誉れあれ。ヒジュラ暦1338年[西暦1923年]」

ザマン紙主筆ムスタファ・アルマアンは、ラティフェ・ハヌムが刻ませ、そして芸術的価値を有するターリク体のアラビア文字の石碑がなぜ取り除かれたのか、そしてなぜズベイデ・ハヌムの思い出として大切にされず、倉庫に放ってあるのか疑問を投げかけていた。アルマアンはズベイデ・ハヌムの本当の遺言はこうしたものではなかったと主張。彼女の願いが全く実現されていないと、公的な文書を示しながら述べた。アルマアンはズベイデ・ハヌムによる16項目の遺言からいくつかを引用し、次のようにまとめた。
・棺は、盛大な声で「神は偉大なり」と唱えられながら、墓へ運ばれること。
・埋葬されてから3日目の夜に、ハフィーズ(コーランの暗記者)、ホジャ(イスラム指導者)、親戚、知人を夕食に招待し、食後にコーランが朗読されること。
・ベシクタシュにあるヤフヤ・エフェンディ(16世紀の有名なスーフィー)の墓の近くに埋葬されること。
・町の中の適切な場所に噴水を作らせること。
・毎週、適当だと思われるモスクで、金曜礼拝の一時間前からアザーンが流れるまでの間、コーランを2章朗読させること。

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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:14999 )