論文売買の実態:エンゲラーブ通りの本屋街で最高500万トマーン
2008年11月24日付 Jam-e Jam 紙

【社会部:キャターユーン・メスリー】「そこのファイルを見せてもらっていい?」「修士か博士、ある?」「経営学、ある?」「医学はどう?」「心理学の、少し見せてもらえます?」

 勘違いしないでほしい!ここは食料品店でも、地域のスーパーマーケットでもない。私たちはエンゲラーブ(革命)通り沿いにある本屋の並びや裏口、本屋専門ビルの地下アーケードやバーザールから報告しているのだ。

 ここでは「博士」やら「修士」、「学位論文」、「研究計画」に関する質問が飛び交い、それらの価格交渉がごく自然に行われている。客の手が数百枚もの緑色やら青色をした紙幣〔1万リヤール紙幣(緑色、約90円)や2万リヤール紙幣(青色)を指す〕を数え終わり、赤や青のファイルを数冊小脇に抱えて誇らしげに地下から出てくるのを目にしたとき、多くの人々にとって縁遠い新たな「商売」がしばらく前からそこに誕生していたということを、われわれは悟るのである。

 ここはエンゲラーブ通りの本屋街。大学教授や学生、研究者、本の愛好家たちのたまり場と呼ばれる場所だ。エンゲラーブ広場とヴェサール通りの間、テヘラン大学の向かいで、「学位論文」を探してみた。歩道の脇にいる人が、「図書券、買い取るよ」などと声をかけてくる。おそるおそる、大学の学位を提供している場所が知りたいのだが、と訊いてみた。するとこの人物はまったく躊躇する様子も見せずに、ある会社の名刺を私に手渡してきた。「モハンマドに聞いたと言えばいい」。

 そこから少し行ったところで、ある人物が大声で売り込みをしている。「教科書だよ、大学予科、パヤーメ・ヌール大学〔※通信制の大学〕のもあるよ‥‥」。そこで彼にも、学位論文について訊いてみる。すると質問を言い終わらないうちに、後ろにいる別の人物が声をかけてきた。「階段を降りて、○○博士のところに行きな」。

 自分は法を犯そうとしているのではないかとの罪悪感は、簡単に覆されてしまう。あまりに大きな声で〔論文の売買を行っている〕場所や人の名前が彼らの口から出てくるので、売買されている執筆済みの論文ではなく、教科書か何かを買いに来たかのような錯覚に陥るのだ。

 もちろん学位論文を買い求める若者の数は少なくない。機械工学、電気工学、開発工学から看護学、助産学、生物学、さらには法律学、経営学、心理学までありとあらゆる分野に広がっている。彼らは研究計画を書き、指導教官の承認を得、研究を行い、学位論文を書く、そういった時間的余裕のない学生たちだ。彼らにとって、学位論文を買う、あるいは少なくとも論文の理論部分ないしはフィールド調査の部分だけでもコピーする以外に手っ取り早い方法など、どこにあるというのだろう?当然、そのためには財布のヒモをゆるめる必要があるわけだが。

学位論文のお値段、10万~500万トマーンなり

 研究計画や学位論文をバインドして販売を行っている地下のじめじめした会社や店は、多くの場合、「製本」、「コピー」、「プリント」、「デザイン」、「学術論文の翻訳」、そして「論文相談」などの看板を掲げて営業を行っている。しかしこういった、見たところ学生向けのサービスは、学生から学位論文の買取を行い、アーカイブ化し、それらを買い求めにくる学生らに一ページごとに販売する、というところにまで商売を展開しているというのが実態だ。

 学位論文の買い取り価格は、修士か博士か、または工学系か医学系か、あるいは人文系かといった専攻によって、それほど違いがあるわけではなく、10~20万トマーン〔約9千円~1万8千円〕という安い価格で学生から買い取られている。

 しかし、学生——大抵は学位論文のために詳細な研究を行う十分な時間のない学生たちだ——にそれを売るときには、数倍の値段がつけられている。学位論文の販売価格は、「まるまる一冊」、「章ごと」、「ページごと」などによってまちまちで、売り手(本屋や先に述べたようなサービスを行う店の店主)の判断のみによって決められている。このため、論文1ページ300トマーン〔約27円〕から1冊350万トマーン〔約31万円〕まで、さまざまな価格が付けられている。

 さらに、研究計画から論文の製本までの全サービスを店側が請け負ったときには、その値段はさらに高くなる。この場合学生は脇に立ち、ただ形式的に口述試験にのぞんで、自分の苦労(!)を弁明すれば、それでよいのである。

新しい喜捨のかたち「学問の喜捨」

 このような「学生向けサービス企業」(!)の責任者は、次のように言う。「私たちのところに問い合わせてくる学生の多くは、勉強を続けるための奨学金をもらいつつ仕事をしている人々で、時に会社の重役クラスの人もいます。そのため、彼らには学位論文のための研究を行う十分な時間的余裕がないのです。このような学生たちを支援することには、来世でのご利益があると私は考えています。というのも、《学問の喜捨》とはそれ〔=学位論文など〕を世に広めることだからです。神の僕を数年間にわたる心配事から解放することに、どのような問題があるというのでしょうか。いずれにせよ、学生は大変な苦労をして、コピーされた論文を提出するのです。〔論文であれこれ悩むより〕とっくの前に私たちから論文が買えるというのにね」。

 複数のインターネット・サイトが学生らに学位論文の提供を呼びかける活動を活発に行っているのも、おそらくこのような口実のもとでのことだろう。これらのサイトでは、「Eコマース」、「人工知能」、「ネットワーク安全論」、「ヴァーチャル・エデュケーション」、「ストリート・チルドレン」、「アケメネス朝期の碑文研究」等のテーマの学位論文のリストが掲載されて売りに出されており、価格は〔売りに出している〕学生と直接話し合いによって決められている。

〔後略〕

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
関連記事(アリー・コルダーン内相の罷免、成立:不信任投票に247票中188票が賛成)

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:尾曲李香 )
( 記事ID:15318 )