詩人ナーズム・ヒクメトの国籍回復手続き、完了
2009年01月11日付 Radikal 紙
http://i.radikal.com.tr/644x385/2009/01/10/fft5_mf98695.Jpeg
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1951年の閣議決定によりトルコ国籍を剥奪された世界的に著名な詩人ナーズム・ヒクメトは、58年後の新たな閣議決定で正式にトルコ国民となった。

2009年10月5日付の、ナーズム・ヒクメトの国籍回復を予想する閣議決定は、官報に発表され施行となった。モスクワにあるナーズム・ヒクメトの墓をトルコへ移送することについては、まだ着手されていない。

■国籍回復への道

ナーズム・ヒクメトへ再び国籍を付与することを決定した公正発展党(AKP)政府は、以前似たような請求を後に翻したことがある。2006年4月26日、トルコ大国民議会(TBMM)内務委員会において国籍法案が扱われた際、共和人民党(CHP)のイズミル選出国会議員のハック・ウルキュ氏が、ナーズム・ヒクメトに再びトルコ国籍を付与するという提案をおこなった。法案に、「1951年7月25日付13401号令の閣議決定を無効とすること」という内容の条文をつけ加えることを提案したウルキュ氏の申し出に対し、公正発展党員らは、「この件を政府に委ねる」と反対した。アブドルカーディル・アクス内務大臣(当時)の、個人が申請する場合は再度トルコ国籍を取得させることができるとの発言は、「死んだ人間がどのように申し込むのか?」との反対理由となった。

ビュレント・エジェヴィト政権時代でも、ナーズム・ヒクメトへ国籍を回復するため準備された法令は、民族主義者行動党(MHP)内で支持を得られなかった。(民族主義者行動党の)デヴレト・バフチェリ副首相(当時)が署名したこの件に関する法令は、MHP所属の大臣の前に二度提出された。初回は、エジェヴィト首相とイステミハン・タライ文化大臣のみ署名をしたのみで、MHP出身の大臣らは法案を差し戻した。二度目もまた、署名数は増加したが、MHP所属の大臣らが再度、「だめだ」として、法案に署名しなかった。

ナーズム・ヒクメトの国籍を剥奪したアドナン・メンデレス政権は、この決議を、公的記録にある「メフメト・ナーズム・ラン」という名前ではなく、ペンネームの「ナーズム・ヒクメト・ラン」という名前を用いておこなった。ナーズム・ヒクメトへは、中央人口管理システム(MERNIS)で「20753206252」という数字の国籍番号が与えられるという。


今日は日曜日

今日、看守が初めて太陽の下に出してくれた。
生涯でこれほど、天空が遠かったことはない。
空がこれほど青く、
これほど広いことに驚き、
身動きもせず、たちどまった。
そして、ありがたく大地に座り込んだ。
白い壁によりかかり。
この瞬間、非難の声も聞こえない。
この瞬間、いざこざも、自由も、妻もいない。
あるのは、大地、太陽、そして、私だけ。
幸せである

ナーズム・ヒクメト

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:15547 )