アフガン人密入国の悲惨な実態
2009年01月14日付 Jam-e Jam 紙


【社会部:マルヤム・ユーシーザーデ】276人のアフガン人とともにチャフチャラーン〔アフガニスタン中央部ゴール州の州都〕からケルマーンまで、古びたトラックの荷台にすし詰め状態になって何時間揺られただろうか、ザイール本人にも分からなかった。まるで死体となって運ばれているようだった。ケガをしたアフガン人の体からは、悪臭が漂ってくる。

 ザイールは今でも、彼の横にいた少女の黒ずんだ顔だけは忘れられない。彼女はその他大勢の人たちに踏みつけられて、肋骨を折り、口から泡を吹いて、死んでいった。運転手はトラックを止めようとしなかった。そのせいでザイールは、死んだ少女の痛みで歪んだ顔を6時間も眺め続けなければならなかった。

 やせこけた少女の死体は、死亡してから5〜6時間後に、「安全な場所」、沙漠のど真ん中に捨てられた。死してなおも痛みで歪んでしまった少女の顔を、ザイールは今でも思い出す。少女の名前は何だったのか、それすら分からない。「ぼくたちが移住したのは、貧困のせいさ。空腹、失業、殺されるんじゃないかって恐怖、病気、不運‥‥」。

 ザイールは今不法移民として、妻と3人の子供とともにイランで暮らしている。子供たちはみなイラン生まれだ。身元を証明するものはもっていない。テヘラン郊外の廃屋に住んでいる。暗くて狭い小部屋。窓は泥でふさがれている。彼らが住んでいるということを誰にも気付かれないためだ。彼らは夏に煉瓦を天日干しし、冬になると日干しされた煉瓦をかまどで焼く仕事をしている。

 ザイールは当初、私のことを労働省ないしは保険庁の査察官、あるいは出入国管理局のスパイだと思ったようだ。彼の受け答えはどれも適当で、短かった。しかし私が新聞記者であると信じ、住所については公表しないという確約を得るや、次のように話してきた。「これまで5回、イランを国外退去処分になったけど、そのたびに戻ってきた。費用もそのたびに高くなっていってね。君たちのお金で言えば、今回シーラーズに来るのに、全部で200万トマーン〔約20万円〕くらい払ったよ」。

 彼らは2、3度トラックを乗り換え、カーブルからカンダハール、ニームルーズ〔イランと国境を接しているアフガニスタン西部の州〕、スィースターン・バルーチェスターン、ケルマーン、そしてシーラーズにやってくるという。ザイールによれば、トラックの運転手はどこに検問所があるのか熟知していて、検問所まであと数キロというところでアフガン人たちを降ろし、そこから山間の道を歩いたという。

 ザイールは声を詰まらせながら、次のような話をしてくれた。「妊娠中の女性もいたんだ。赤ん坊が流産しないように、〔トラックの荷台で〕うずくまっていた。たくさんの人が押し合いへし合いしていたせいで、骨盤が折れてしまった。でも、叫ぶことはできなかった。《連絡員》が許してくれないんだ。もし密入国業者を怒らせたら、みんな袋だたきにされてしまう。結構な人が、そのせいでケガしていたよ」。

ある密入国業者の証言

 F・Aもザイールと同様、密入国業者がどのようにアフガン人たちに暴力をふるうのか、目撃している。しかし彼はアフガン人ではない。イラン人だ。一度だけ、10人からなる密入国グループと一緒に、200人のアフガン人を二台のトラックでケルマーンからシーラーズに運んだことがあるのだ。

 Aはケルマーン出身。彼が組織のことを知ったのは、私が彼のことを知ったのと同じように、まったくの偶然からだった。「かつて密入国を生業にしたことのある人物がお客さんになったことがあってね。トラックを運転してほしいということではなかった。ただトラックの前を走って、巡回の警察がいたらそれをトラックに知らせることが、ぼくの仕事だった」。

 Aが記憶している限りでは、「マスジェデ・アボルファズル」地区〔ケルマーンとシーラーズの中間の地点〕付近に着くまでは、特にこれといった問題は起きなかったが、一度だけトラックの運転手が、Aの車に同乗していた《主任連絡員》のところに連絡を寄こしたことがあったという。「アフガン人たちが立ち上がっちゃって、困ってるんですよ」。

 連絡員の男はすぐさまAに、トラックの方に戻るよう指示したという。「《お仕置き》してやらなきゃいかんな、と言っていた。トラックの荷台の上で突っ立っている様子を誰かに見られたら、巡回警察に通報されてしまうかもしれない、そうなりゃ大変だって」。

 Aによると、彼を含め数人が二人一組になって車でトラックを「エスコート」し、車から降りた後、棒や金属パイプ、ベルトの金具の部分でトラックの荷台にいるアフガン人たちをぶち始めたという。Aは恐怖で冷や汗を流しながら言う。「連中、全然手加減しないんだ。ただ殴っているんだよ。アフガン人の頭や顔からは血が出てるんだけど、声も出さずにただ黙って殴られているんだ。どれだけお金になるか知らないけど、外国に密入国なんかすると、こんなひどい目に遭うのかって、思わず呟いたね」。

「あとで精算だ!」

 横に座っていた《連絡員》には、Aも名前を知らないある人物から、どの道を行くべきか〔電話で〕指示が出されていたという。そしてその夜、その人物はバム街道を行くよう伝えてきた。「夜半過ぎにバムの近くを出発、その後未舗装の道に入って、マスジェデ・アボルファズル地区付近でトラックを止めたんだ」。

 トラックは止まった。アフガン人たちは微動だにしない。一台のプジョー車が、Aのプジョー車に横付けしてきた。体格のがっしりしたある男がトラックの横に立ち、大声を出す。「みんな、降りろ」。

 「乗客」たちがトラックから降り始める前、すでに周りをボロ着を着た多くのアフガン人に取り囲まれていることに、Aは気が付いた。暗闇の中で、「ギョリュウ」の灌木の奥に潜んでいた彼らは、ゆっくりと近づいてきた。

 Aは恐怖に駆られて口走った。「数百人のアフガン人に包囲されてるじゃないか」。《連絡員》はAに次のように言ったという。「今日トラックで連れてきたアフガン人たちは、明日の夜までここにいてもらうことになっている。今夜は、数日間沙漠のど真ん中で待ちぼうけを食わされている先客さんたちを運ばなきゃな」。一体何人いるのかAが尋ねると、連絡員は笑いながら、「すごい人数だよ。毎晩200人から300人は移動させているからね。最近じゃ、俺たちだけじゃないから。他の業者さんもいるってことさ」。

 新しいアフガン人たちを〔棒などで〕叩きながらトラックに乗せ、「サルチェシュメ」方面に出発、さらに「アーバーデ」、「マルヴダシュト」に移動した。「何も問題は起こらなかったけど、一度だけトラックの運転手から連絡があってね。〔警察に?〕行く手を阻まれて、賄賂を要求されたっていうんだ。連絡員は『やれよ!あとで精算するから!』って言ってたよ」。

アヘン密輸の時代は終わった

 Aはほぼ20時間、車を走らせたという。連絡員は何度もAに、かなりの道のりを行き来したから、もう休憩はなしだと言ってきた。そんなこんなで、食事のための休憩も、水を飲むための休憩も、トイレに行くための休憩すらなく、走り続けたのであった。「最終的にシーラーズ近郊にある、ある作業所でアフガン人たちを降ろした。彼らはひどくぶたれていたせいで、自分の足で立つことのできない連中も多かったよ」。

 Aにはたった30万トマーン〔約3万円〕が給金として支払われただけだった。「アフガン人たちは100万トマーン以上支払ったと言っていた。これらのお金は一体誰の懐に入るんだって訊いたよ。連絡員は笑って、『電話の向こうにいる、あの御仁のところさ』だって」。

 連絡員はAに次のように話してきたという。「近頃じゃあ、アヘンの密輸よりも人間の密輸の方が割に合うってもんだ。〔警察に検挙されても〕罰則は《真面目な》ブツを運んだのと変わらないんだからさ」。

過去10ヶ月で検挙者20万人

 内務省外国人出入国管理局のセイエド・タギー・ガーエミー総局長も、この《連絡員》の話を認めている。「人間の密輸に関して言えば、イランの法律には十分な抑止効果がない。罰金と車の差し押さえ程度というのが現状」と話す。

 同総局長によると、今年の初め〔2008年3月20日〜〕からこれまでで、約20万人のアフガン人が不法入国で検挙されたという。一日平均670人のアフガン人が国境で検挙されている計算になる。もちろんこの数字に、強姦、殺人、誘拐、麻薬密輸といった重大犯罪で我が国の刑務所に服役しているアフガン人4500人は含まれていない。

 イランは今年、40万6840人の不法滞在のアフガン人を本国に送還した。ガーエミー総局長によれば、「イランに暮らしているアフガン人は現在300万人。彼らはイラン人が担うべき職業を奪い取っている。彼らのうち正規滞在者は89万1千人で、それ以外はみな不法滞在者」とのことだ。

 アフガニスタン政府当局者はこれまでの公式・非公式の会見の中で、同国に送り返されたアフガン人不法移住者たちの対策に乗り出す気配をまったく見せていない。あまつさえ、彼らは外国メディアを通じて、イランが30年間にわたってアフガン人をホスピタリティ溢れる態度で受け入れてきたことを無視する姿勢まで見せている。

 その一方で、不法入国のアフガン人は国外退去になっては、そのたびにいかなる代償を払ってでも、ときに命の危険を冒してまで、密入国業者を通じてイランに舞い戻ってくる。イラン当局は何年にもわたって、このいたちごっこを繰り返してきたのである。

 不法入国者とのこのいたちごっこは、治安維持軍や出入国管理局にとっては頭の痛い問題だが、しかし密入国業者には実に儲かる商売をプレゼントしている。この商売で動いたお金は、過去10ヶ月間だけで —— それも不法入国者たちの総数が検挙された20万人と仮定しての話だが —— 30億トマーン〔約3億円〕に上る。

 我が国に不法に入国してくるアフガン人たちを一斉検挙によって本国に送還することが果たして良いことなのか、それとも一部のアフガン政府やその他の諸外国の当局者が言うように、検挙の手をゆるめるべきなのか、判断は難しい。

 今回のレポートを締めくくるにあたって、内務省外国人出入国管理局総局長がジャーメ・ジャム紙記者に問いかけた、以下のような問いをご紹介するのが、もっとも適切かもしれない。「もしイラン人とアフガン人の立場が入れ替わったとしたら、つまり私たちがアフガニスタンへの不法入国者だったとしたら、アフガン人たちの私たちへの対応はどうなっていただろうか」。

 もちろん、この問いは一種の責任回避のためのものだとの理解も可能だろう。我が国におけるアフガン人不法滞在者の存在と彼らを密入国させる業者の増加が、取り返しのつかないいかなる結果を社会に残し、いかなる心理的・社会的被害をもたらすのか、出入国管理局、そして特に治安維持軍の当局者たちもよく知っているからだ。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:15623 )