トルコ語圏の亀裂―アゼルバイジャンでトルコ製ドラマ禁止
2009年02月01日付 Zaman 紙
「共通のコミュニケーション言語は何になるだろうか?」 トルコ世界で古くから議論されてきた問題が、ある禁止によって再び脚光を浴びた。アゼルバイジャンのテレビ各局で、トルコ共和国のトルコ語で放送されるドラマが完全に禁止された。それで私たちは双方の言語の専門家に、「この私たちの言語の状態はどうなるのだろうか?」という質問を向けてみた。
禁止は各チャンネルの「純粋性」のためとするアゼルバイジャンのラジオ・テレビ高等機構(RTÜK)は、週40時間に至るトルコ・ドラマが、国内ドラマを殺したと苦情を訴えている。しかし本当の問題は、これまでロシア語の影響下におかれていたアゼルバイジャン・トルコ語が、トルコ共和国のトルコ語からかなりの影響を受けていることだ。バクーのザマン紙代表、エネス・ジャンセヴェル氏は、「アゼルバイジャン・トルコ語の明日はどうなるだろうか?」という懸念に注意を引いている。それもそのはず、今や5歳のアゼルバイジャンの子どもでさえ、トルコ共和国のトルコ語で話すことができるのだ。母語を発展させたいアゼルバイジャンは、テレビ画面からまずロシア語を、そしてトルコ語を取り除く一方、トルコ語を外国語とは考えていないという説明もしている。
それでは、「共通のコミュニケーション言語はトルコ共和国のトルコ語であるべき」と述べる知識人たちは、何を考えているのだろうか?
アゼルバイジャン・ペンクラブのアナル・レスルオール代表は、2つの言語を接近させたドラマの禁止を正しいとは考えていない。しかし、言語の交流が相互交流であることを条件としている。アナル氏と同様に、「トルコ共和国のトルコ語以外に共通のコミュニケーション言語は考えられない」と主張するバクー・アタテュルク・センターのニザミ・ジェヴヘロヴ代表は、「あなたたちの言語に入っている外来語を取り除きなさい」と警告を発している。ここでもうひとつの新たな問題。「トルコはどのくらい自分の言語を支配しているのか?」
■アゼルバイジャンからあなたたちに禁止を
「アゼルバイジャン人が週32時間、トルコ共和国のトルコ語で放送されるドラマを見たら、アゼルバイジャン・トルコ語の状態はどうなるのだろうか?」 トルコのドラマが中東を席巻し、私たちトルコ人が、ドラマ撮影の行われた海辺の別荘で写真を撮るアラブ人観光客にかまっている一方で、アゼルバイジャンは静かにこんなことを議論していたというのだ。決定が発表されてやっと、トルコの人々の目は「兄弟」国アゼルバイジャンに向けられた。
アゼルバイジャン・ラジオ・テレビ高等機構は、トルコ共和国のトルコ語で放映されるドラマや番組を禁止した・・・。その理由は明快だった。
アゼルバイジャン・トルコ語は脅威にさらされていた。なぜなら5歳の子どもでさえ、アナトリアのトルコ語を話し始めていた。アゼルバイジャン・ラジオ・テレビ高等機構のヌスィレヴァン・メヘッレムリ委員長は、トルコドラマとともにロシア語の番組も禁止し、自分たちはトルコ語を外国語とは思っていないと述べた。そして、アゼルバイジャン・トルコ語を「発展」させるために取られたこの決定を、トルコが理解をもって受け止めることを期待している。さて、ここで古くからの議論に再び火がついてくる。
「アゼルバイジャン語なのか、アゼルバイジャン・トルコ語なのか?」
「イスマイル・ガスプラルからこれまで述べられてきた『言語における団結』という思想はユートピアなのか?」
「トルコ世界の共通コミュニケーション言語は何であるべきか?」
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( 翻訳者:永山明子 )
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