オズトプラク大尉の死、エルゲネコン捜査の枠組みで再調査へ
2009年02月03日付 Milliyet 紙
エルゲネコン捜査の一環として、逮捕され自宅で手榴弾が押収された退役大佐のアリフ・ドーアン氏が、シュルナク県スィロピ郡で軍警察諜報テロ対策局司令官を努めた1989年に、発砲事故で亡くなったとされるイスマイル・オズトプラク大尉の調査が再び開始された。
イスタンブルでのエルゲネコン捜査の一環として、オズトプラク大尉の死に関する資料と文書が軍検察局によって請求された。ディヤルバクルで行われている軍警察諜報テロ対策局の11名の被告の裁判で、オズトプラク大尉の死に関して、ドーアン氏の責任が追及されている。
■エルセベル氏は3万ドルを手にした
ディヤルバクルで行われている軍警察諜報テロ対策局裁判の起訴状で、イラク・クルド民主党のザホ地域司令官であるマホ・ゲフタンが、トルコへ来て、「メフメト・クルチ」という名前を取得し、トルコ国民となったこと、さらにはイラク軍がスィロピ郡の軍警察諜報テロ対策局に10万ドル相当の見返りを要求したことがわかった。起訴状では、自白したハジュ・ハサン被告、下士官であるシャーバン・バイラム、「トカトル・エロル」という名の兵士が、アンタリヤで兵役義務を行っていたマホ・ゲフタンを、「スィロピ郡で一人のトルコ人大尉を殉職させた。連れていって尋問する」といって、軍隊から連れ出し、ハブル国境門でイラク軍に引き渡したこと、アフメト・ジェム・エルセベルはこれと引き換えに3万ドルを手にしたことが述べられた。
起訴状では、こうした事情を知らされたオズトプラク大尉が取り乱し、ハジュ・ハサンと口論になったこと、その後「警備管轄地区を歩いているとき、一人の兵士が銃を誤って撃った結果死亡した」といった形で調書が取られ、殺人なのに事故の偽装がなされたこと、この事件後、ハジュ・ハサンがアティフ・ドーアンによってバトゥマンに送られたことが明らかになった。
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( 翻訳者:大田垣綾子 )
( 記事ID:15715 )