シャルル・アズナブール回想「トルコ嫌いだったことはない」
2009年02月15日付 Hurriyet 紙

アルメニア政府の駐在スイス大使就任の申し出を受けた著名な歌手、シャルル・アズナブールさんは、トルコ生まれのアルメニア人家庭の子弟だ。

アズナブールさんは、アラス出版社から公刊された「過去の記憶」という回想録の中で、1915年の強制移住でかろうじて生き延びた母も父も復讐を考えたり、敵視の感情をもったことは全くないと述べ、次のように語った。

「私の母と父が、現代トルコを過小評価したり、悪く言ったりすることを私は一度も見たことがありませんでした。私たちに一度もトルコ人に対する恨みを植え付けるようなことはしませんでした。その全く反対に、両親はトルコが美しい国であり、女性たちがとても魅力的で、中東で最も料理がおいしいと言い、そして根底のところでトルコ人と私たちの間にたくさんの類似点があると言っていたことを私はいつも聞いていたのだと思います」

アズナブールさんは、ナゴルノ・カラバフでのアルメニアとアゼルバイジャンの戦争に資金援助をしたという自身に関する主張にも、はっきりとした口調でこれを否定し、4月24日の式典には一度も参加したことがないと強調した。

「一部のトルコ人記者やアゼルバイジャン人記者達が過去に関して何を言い、何を書いたとしても、私は決して、『決して』と言いますよ、4月24日の虐殺追悼のためにパリやそれ以外の都市で行われたデモ行進に参加したことはありません。カラバフに武器を送ったこともありません。アゼルバイジャンとカラバフのアルメニア人達のあいだの闘争の際に、武器購入のために資金集めもしていません。女性や子どもたちが負傷や殺害されることになる活動に手を染めないくらいの良識は、人類に対して持っています」

アズナブールさんは、アダパザル出身の母とアフスカル出身の父親を次の言葉で紹介している。
「私がフランス人であるように、私の母はトルコで生まれたのですからトルコ人でした。アダパザルで葉タバコの専門家である父親から生まれました。二人の弟と、妹がひとりいました。皆、虐殺で死んだのです。どのように死んだかは神様がご存知です」

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( 翻訳者:山下王世 )
( 記事ID:15799 )