真の民主主義の基準とは-イラク地方選によせて
2009年02月13日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■民主主義と有刺鉄線
2009年02月13日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP意見・見解面
【サーディク・バーハーン】
元駐イラク米国大使ライアン・クロッカーは、「数日前に行われたイラク県 議会選挙は、民主主義への重要な一歩である」と述べた。この言葉は、民主主義の専門家である外交官によるものであり、彼は民主主義の基準、本質、そして人間と社会の存在を構築することにおけるその重要性を知っている。
当然、こうした発言は、民主主義を軽蔑し、西洋から輸入された物であると考えるアラブの政権を煩わし、懸念を引き起こさせる。さらにアラブの政権は、ヒトラーやムッソリーニがそうであったように、個人というものを軽蔑し、あらゆる手段を用いて、国民を指導者または排他的な唯一の指揮官に従順な群れにしようとしている。
名前は思い出せないが、 ソ連を訪問して帰国した際、所属していた共産党から離党した物書きがいた。なぜ離党したのかときかれた彼は「ソ連にあるすべての家は似ていることに気づいたからだ」と答えた。
同じ文脈で、〔エジプトの社会学者・民主活動家〕サアドゥッディーン・イブラヒームは彼の研究書『アラブ世界における市民社会と民主主義への変容』において、アラブ諸政党の経験は、民族主義政党 であろうと左翼政党であろうと、民主主義を非難し軽蔑することに基づいてきたと書いた。アラブ政党の構造は、反対意見を踏みつぶす支配的な構造であり、この構造の発想は究極的に独裁的である。そしてこの独裁的な構造では、個人は命令を実行するだけの機械であるとみなされ、大統領、指揮官または指導者に従い、彼らを崇拝の域まで賛美する。さらには彼らに不満を訴え、彼らのために祈りをささげる。このために、後に政党によって支配されることになった多くのアラブ政権のもとで、アラブ人の人間としての価値は皆無に等しくなった。
よく知られているように、民主的な政権と独裁的な政権の対立は、何世紀も昔にさかのぼる。たとえば510年にはアテナイ において、ヒッピアスが権力の座から引きずり下ろされ、彼の座を奪ったクレイステネスは、人民による統治を意味する民主主義の考えをもって、アテナイの人々を説得した。民主主義のアテナイは際限なく繁栄し、黄金期の指導者ペリクレスがスパルタに打ち負かされるペロポネソス戦争にアテナイを引きずりこんだ紀元前431年まで、その指導権は他のギリシャの都市国家にまで及んだ 。スパルタは社会を軍事化し、人々を国家の所有物とした専制的な都市国家であった。
実際、歴史を通じて現在にいたるまで、「アテナイとスパルタ」、「民主主義と独裁」、「多元主義と専制」という、これらの二つのパターンの間で、知識人や政治家の立場 は揺れ動いてきた。シュミット・フィリップとテリー・カールが彼らの著作『民主主義その他』で述べているように、民主主義はガバナンスの手法であり、生きる手段である。民主主義は目的とメカニズムであり、それ以前に政治哲学である。そして、民主的システムの政治的特性とは、選出された代表を通して間接的に役割を果たし、そしてその代表との協力によって役割を果たす国民の前において、支配者が自らの行動に対して負う責任にある。
この観点から、そしてムハンマド・アル=ルマイヒー博士がその研究『民主主義とアラブエリート』において述べているように、独裁が悪い、民主主義が良いということではなく、社会的、経済的、そしてその他の達成が頂点を迎える時にのみ、民主主義は成功裏に出現するのである。
トクヴィルは著作『アメリカの民主主義』の序文で、西洋における民主主義が進歩の有機的な結果としてどのように発展したかを示した。ヨーロッパの社会は複雑に発展 し、貴族社会はあまりに多くの責任を抱えこまないために、ある程度の平等を他の国民に約束し、彼らに一定の責任を負わせなければならなかった。人々が平和的に競合する利益集団に構造的に分かたれることが、暴政または破壊的な市民戦争を避けるためには必要であった。この意味において、民主主義は対話であり、意見と反対意見を受け入れることである。さらには寛容であり、公表し、批判を尊重し、良いことのために働くことである。民主主義は穏健であり、衝突、過激化、排他性とは分かたれるものである。これらの議論から、人によっては理想的に見えるかもしれないが、私にとって真の民主主義とは、以下の基準を満たされなければ達成できないものである。
一、 さまざまな政治集団の反対があろうとも、個人または少数派が権力を握るのではなく、国民がすべての権力の源であること。
二、 市民権と人々の間の法的・政治的平等
三、 一般の自由の保障
四、 法による統治
五、 司法の独立
六、 分権
七、 自由で清潔な選挙に基づく政権の一定期間ごとの平和的交替
われわれの意見では、これらの基準が適応され なければ、民主主義は有刺鉄線に囲まれた行き止まりにぶつかってしまうのである。
サバーフ・アル・ジャディード編集スタッフ
サーディク・バーハーン
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( 翻訳者:ホサム・ダルウィッシュ )
( 記事ID:15835 )