村上春樹のエルサレム賞授賞について
2009年02月23日付 al-Hayat 紙

■ 日本人作家とイスラエルの賞

2009年02月23日付アル・ハヤート紙(イギリス)HP文化面

【アブドゥ・ワージン】

エルサレム作家フェア開会の夜、我々アラブ文化人は、日本の小説家、村上春樹に今年のエルサレム賞を拒否してくれと切に願っていた。ガザでイスラエルによって流された子供たち女性たちの血に敬意を払う意味で、その賞を辞退せよと要請する声は日本にもあり、私達は、彼がそれに耳を傾けてくれると思っていた。アラブ紙の中には、性急に彼の辞退を広めたものもあった。しかしムラカミは、躊躇することなくエルサレムへ赴き、シモン・ペレスの手からその賞を受取った。罪無きパレスチナ人の血が未だ乾かぬその手から。その受賞について彼は、「言われた事とは逆の事をやったのだ」と文学的に描写してみせたが、それだけではないだろう。既にノーベル文学賞候補でもあるその作家は、世界的文学賞への途上にイスラエルが存在する事をよく知っているのだ。言い換えればイスラエルは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールやミラン・クンデラのような大作家たちが以前に得た、その国際的な賞の一つを与えることにより、有名な日本人作家を釣ることに成功した。

我々アラブの文化人を悲しませるのは、アラブ文化の首都にエルサレムが選ばれたその年に、イスラエルは、そうやってエルサレム賞を利用した。これは、アラブ文化に対するイスラエルの攻撃の最たるものであるばかりか、イスラエルの邪悪な仕打ちの中でも最悪なものである。イスラエルは、この「汚れた」賞を下心をもって適切な時期に与えてみせた。ガザ虐殺の直後である。日本人であれ、世界的文学者を歓待するような文明国がイスラエルなのだと世界に示すことが目的であった。

エルサレムがアラブ文化の首都とされた年にイスラエルは、その名を冠した賞を授与した。一方でパレスチナ国家、あるいは他の様々な関係団体は、イスラエルがガザに対して仕掛けた戦争のため、それを祝う式典を延期した。今年はどうなるのか分からない。「内部」では諍いが過熱し、辞任につぐ辞任。パレスチナ文化人たちの間でも益々亀裂が深まっている。これはイスラエルの望むところだ。このような好機を彼らが見過ごすはずはない。エルサレムにアラブ文化が顕著な姿で現れるのを阻止すべく、彼らは破壊に走っている。

村上春樹がイスラエルの賞を無視してくれたらどんなに良かっただろう。この60年代を描く作家はアラブの書店に場を得ている。アラブ人読者も多く、優れた日本人作家の一人としてその名はアラビア語の文芸誌によく登場する。レバノンの出版人で「アラブ文化センター」のハッサン・ヤーギーが、ムラカミ小説4編のアラビア語訳を出したところ好評で、アラブ人読者の間でお気に入りの作家の一人になった。またアラビア語のネットサイトでもその翻訳が行われている。イスラエルではこれ程広まってはいないだろう。ヘブライ語に訳された作品はアラビア語に訳されたものほど多くはない。アラブ圏では本を読む人口全般が減っているとされるが、そのアラビア語の読者と比べても、ヘブライ語の読者はほんの少数である。しかしヘブライ語というのは、ノーベル「クラブ」に入会するための「ビザ」のようなもので、それがあればノーベル賞関係者たちの満足も得られるというものである。

例えば「アラブ連盟」は、何故、世界の大作家たち向けにアラブの名を冠した賞を設立しないのだろうか。そうすれば世界の目が我々に向くかもしれないのに。アラブ文化にグローバルな一側面を与え、現代国際文化シーンの中心に持っていくこともできるのではないか?アラブ連盟は資金不足を言い訳とすべきではない。こぞって賞を設置するであろう数多くのアラブ文化団体と協力し合えばよいのだ。受賞者を讃えるために少しばかり費やしたとしても、それら団体の予算には響かないだろう。ムラカミが得たイスラエルの賞の賞金は1万ドル程度のものだ。

それでも、私達は村上春樹を愛し読み続けるだろう。そうでなかったとしても、私達は彼の犯した過失を許すだろう。実のところ彼自身も、これが過失であると分かっているだろう。明らかな目的があってそれを犯したのだ。アラブ・エルサレム委員会が、この偉大な小説家の目を覚まさせるような賞を授与しないものだろうか。しかし、「アラブ文化の首都エルサレム」を祝えるのはいつになるのだろう。その答えはほとんど見えてこない。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:15854 )