連載:イスラーム法による統治の問題(1/3)
2009年01月25日付 Al-Ahram 紙

■ イスラーム法による統治の問題(1)

2009年01月25日付アル・アハラーム紙(エジプト)論説面

【ラガブ・アル=バンナー】

 政治的イスラーム潮流の基本をなす大義は、現在のシステムが神の法から離れており、唯一の解決はイスラーム潮流の指導者達が権力を握ることであるとの主張にある。そうすることでイスラーム法が適用され、ムスリム達の状況が正され、貧困、不正義、腐敗、独占、賄賂、道徳的堕落といった人々の不平の種が撲滅されるとの主張だ。だがこの主張には議論の余地がある。

1、 宗教なしで暮らすことのできる社会は存在しない。宗教は個人や社会を堕落から守る強力な壁となっている。政治が宗教を支配する、あるいは宗教者が政治を支配することは社会の公共利益にはならない。

2、 イスラーム法の解釈は一人の人間に独占されてはおらず、またイスラーム法学における法解釈の門は開かれている。その門は独裁国家の時代以外閉じたことはなかった。クルアーンやスンナ[預言者の慣行]の文言で述べられている命令や禁止の集合である「宗教(ディーン)」と、法解釈や見解、諸学派からなるイスラーム法との間には溝がある。しかも法学派は聖典の理解の違いから、項目によって互いに異なるが、それは聖典自体が解釈や法規定の導き出し方における違いを許容しているためである。「宗教」とは神聖な教義であり、神がムスリムに課した義務である。イスラーム法は、相違が許容される、人間による法解釈なのだ。今日まで政治的イスラーム潮流の人達は、次の質問について答えてこなかった。クルアーンの文言の適用と、イスラーム法学者たちの意見や法解釈の適用の、どちらを求めているのか? 承認された9つの法学派のうちのどれに、ムスリムやその統治者は従えばよいのか? そして時代や場所の変化にともなって法規定も変化するとの、イスラーム法学の根幹についてはどう考えるのか? 実生活においては日々、新たな課題が投げかけられているというのに。

3、 近代における国家の概念は、社会契約の上に成り立っており、過去の世紀に統治の本質であった神権に拠って立つわけではない。神権政治が行われていた世紀は、不正や独裁で満たされ、神の法を適用するという名の下に、その当時の支配者が犯した多くの罪で満たされていた。

4、 社会契約、憲法、市民、民主主義の土台に立つ市民国家の建設は、クルアーンや真正なスンナの中で明白に述べられている、原則的な義務や疑いのない規定にその国家が従うことを決して禁止するものではない。

5、 宗教復興は、良心の目覚めを引き起こし、クルアーンの中で個人や集団、社会の関係について神が私達に命じたものへの、畏怖と恭順をもたらす。それは、現代の政治システム、あるいは国際関係の原則と反目しないし、公共利益とも合致する。昔も今もイスラーム法学者達は「公共利益があるところ、神の法あり」と言ってきた。そのため、社会の諸勢力の間で境界域が合意されることが必要なのだ。宗教の領分はどこにあり、政治の領分はどこにあるのか、という。この点に関して、歴史の経験や教訓を無視することはできない。

6、 全てのイスラーム国家は、クルアーンや真正なスンナの中で明白に述べられている義務を拒否しない。しかし特定の集団が、自分たちこそがイスラームにおいて合法的で唯一の代表であると主張することは拒否するし、その言葉が神の言葉であるということも拒否する。イスラーム法学や政治における相違は、人間との間に生じる相違なのであって、宗教との不一致ではない。彼らが神の法なわけではないのだ。私達はスンナ派、シーア派、イバード派、スーフィズム、サラフィー主義の間に、イスラーム法の概念における違いがあることを考慮しなければならないし、このそれぞれの派内においても法学派間の相違があり、他の学派に対して意見する正当な権利を持つ学派はないのである。

7、 ムハンマド・アブドゥ師は、国家の市民的性格を唱え、策略や信条に則った政治ゲームにイスラームが埋没することを避けるよう求めていた。政治には常なる友も、常なる敵もなく、あるのは常に利益である。そしておそらく政治は、「目的が手段を正当化する」というマキャベリズムに拠っていると考えた。アブドゥ師は政治を呪い、宗教者に政治から遠ざかるよう求めていた。

8、 エジプトの憲法は、イスラーム法の原則を立法の源泉とするよう、国家に規定している。それは義務的なイスラーム法の規則と対立しないことを意味している。ただし、イスラーム法学において、イスラーム法の規則全てが義務的なわけではない。

9、 宗教の領分と政治の領分との混同は、ある時期には社会主義がイスラーム法の適用とみなされうるという言説を導き、他の時期には資本主義やイスラエルとの和平条約がイスラーム法の適用であるとされ、1967年の敗戦は神からの罰であるという言説を導いた。イスラーム法学者の幾人かはサーダート大統領のエルサレム訪問に宗教的正当性を与えた・・・・・・このように宗教は政治ゲームや政治謀略、次々に変わる政治的立場に利用することができる。そしてそれは、政治的イスラームの諸団体も同様に行ったことである。彼らは宗教的義務としてムスリムによるムスリムの殺害を決めたかと思えば、それから心変わりをし、それは宗教に反するとの決定に至ったのだ!

10、 イスラーム法の適用について語る際には、現在可能であることと、国際情勢や社会情勢が変わった将来に可能であることを分けなければならない。そして同様に実際的なものと、現実とかけ離れた理想的なものとを区別しなければならない。もし現在あるいは将来の世俗法(カーヌーン)の中で、イスラーム法の禁止事項に対する違反があれば、憲法裁判所がその法律を廃止する役目を担っている。憲法裁判所はそれを行ってきたし、常にそれを行っている。違反がイスラーム法の解釈の範囲内であったなら、公共利益に則って解釈される余地がある。明らかに世俗法の多くが、その作成の準備において、経済や工学、社会科学の専門家を必要とするほどには、イスラーム法学者達を必要としてない。

私達は、イスラーム思想家であるターリク・ビシュリー氏による「預言者の時代は啓示が下され、スンナが生み出された、唯一無二の時代なのだ」という指摘を無視してはならない。それは繰り返されなかったし、繰り返されることもない。その時代の後で現れたもの全ては、社会のために人間が試みたものに過ぎない。イスラーム学者やイスラーム法学者たちとは、時代や公共利益の観点に従って、私達が彼らの言説を採用、あるいは破棄をする相手にすぎないのだ。

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( 翻訳者:平寛多朗 )
( 記事ID:15915 )