イラク化学兵器の被害者、毎年約15人が死亡
2009年03月16日付 E'temad-e Melli 紙

ガズヴィーン国際大学の学生らは、化学爆弾によるハラブチェ〔ハラブジャ:イラク・フセイン体制が化学兵器を使用し、多数の犠牲者を出したとされるイラク・クルディスタン地方の町〕の惨劇から21周年を記念する式典を開いた。

 大学教授で「サルダシュト〔フセインによる化学兵器の攻撃を受けたとされるイラン・イラク国境地域にあるイラン側の町〕の被害者の人権を守る会」国際問題担当顧問のアサド・アルダラーン氏は、ハラブチェ事件の首謀者アリー・ハサン・アル=マジード〔通称ケミカル・アリー〕に対する死刑判決が執行されたことを歓迎した上で、次のように述べた。「戦争はいかなるものであれ、人々に野蛮と流浪をもたらす。戦争の恐怖から逃れるためには、民間人に向けられた攻撃を避けるほかない。人間はつねに戦争を恐れてきた。この恐怖から逃れることはできない」。

 インターネットサイト「Poushpar」によると、アルダラーン氏が公表した統計では、化学兵器によって負傷した人のうち毎年8名から15名が毒ガスの後遺症で命を落としているという。同氏は、この数字だけでも禁止された兵器が引き起こす「不必要な」苦しみをうかがい知ることができると訴えている。

 同氏はまた、「世界は、対イラン戦争で化学兵器が用いられる事実を目の当たりにするわけだが、この戦争が勃発したときに〔イラクに対して自制を促すなどの〕きちんとした対応が示されていたならば、サルダシュト、そしてその後のハラブチェに問題が降りかかるようなことはなかったはずだ」と指摘する。

 アルダラーン氏はまた、多種多様な兵器は誇りある国防のためというよりは、むしろ他国を圧迫する力を提供しているに過ぎないとも主張している。

 他方「サルダシュトの化学兵器被害者の人権を守る会」の法務委員会書記のモザッヤン氏は、サルダシュト〔※ハラブチェの誤り?〕の化学兵器犠牲者のメッセージを、次のような言葉から始めている。「21年前のこの時期、クルディスタンの人々は新春を迎えるための準備にいそしんでいた。そんな折にサッダーム政権から記念のプレゼントが送られてきた。サッダーム主義者から送られてきたプレゼントとは、すなわち化学爆弾であった」。

 同氏は「1時間もたたないうちに、小村の住民5千人以上が命を落とした。この事件は、人間の想像力をはるかに超えたものであり、一般の人がその非人間的な悲劇を理解することは困難である」と続け、ハラブチェやサルダシュトでいまも続く様々な影響や病気について、詳細を明らかにしている。

 モザッヤン氏はさらに次のように続ける。「1987年6月28日に民間人ばかりが住むサルダシュトの町に対して、イラク政権が化学兵器による攻撃を仕掛け、8千人以上の無防備な人間を死傷させたことに対して、もし世界の人々やマス・メディア、影響力のある国々が当時少しでも反応を示し、抗議を行い、非難していれば、その7ヶ月後の1988年3月16日に起きた同様の、しかしより大規模な攻撃がハラブチェに対して繰り返されるようなことは、確実になかったはずだ」。

 「1366年ティール月7日〔1987年6月28日〕の化学爆弾の犠牲者・生存者の会」を代表して、同氏は次のように強調している。「この種の犯罪に対して沈黙することは、もはや決して許されることではない。化学爆弾が使用されるような事件を再び目撃することがあってはならない。われわれが求めているのは、平和に満ち、戦争や化学兵器のない世界を手に入れるために、化学兵器の拡散・製造・利用・技術移転・売買を完全かつ永遠に禁止するための真剣な措置が講じられ、〔違反者を罰するための〕公正な裁判所が設置されることである。また、この種の兵器の被害者に対する支援も求めたい」。

〔後略〕

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:16073 )