選挙結果―公正発展党後退の一方、左派票は30%に達せず
2009年03月31日付 Zaman 紙
3月29日の地方選挙は小さな驚きとともに終わった。政党の順位が変わらなかったが、政党間格差が広がったこと、そしてイスタンブル、アンカラ、イズミルやディヤルバクルでは市長が変わらなかったことにより、勝利か敗北か明確に論評できないでいる。
公正発展党は、得票率を初めて落としたがそれでも政権を担う唯一最強の政党である。民族主義者行動党(MHP)や至福党(SP)には、与党から票が流れた。共和人民党(CHP)の得票率には若干の変動がみられるものの、2002年、2004年や2007年に近い選挙結果となった。左派の得票率は今回の選挙でも30%に到達できなかった。「貧困と汚職」のスローガンを掲げて選挙戦略を行った共和人民党が幅広い層で受け入れてもらうために、さらなる一歩を踏み出す必要があることが明らかになった。
全世界的な経済危機の中で行われた地方選挙では、2007年7月22日の総選挙や2004年3月28日の地方選挙と比較した際に、公正発展党の得票率において後退が見られる。今回公正発展党は39%の得票率であった。共和人民党と民族主義者行動党の合計得票数よりわずかながら多く得票したため、「彼らも失敗した」という論調でもって動いている与党の後退の一つの理由は、一部の地域で候補者たちに示された反発である。公正発展党は、大都市や県知事などの重要な部分を他政党に奪われた。レジェプ・タイイプ・エルドアン首相の「我々の課題を検討することになる」という言葉は、公正発展党が置かれている状況を要約している。
■野党は票を伸ばした
得票数や首長職の数を増やした共和人民党と民族主義者行動党は、自身の基盤に将来のための希望を与えた。両党とも有権者の支持を獲得した候補者たちのおかげで、得票数をこれまでよりかなり多く伸ばした。
共和人民党の得票率は、県議会の選挙結果によれば、23%以上に達した。イスタンブル広域市長候補のケマル・クルチダルオール氏は、イスタンブルで人民共和党の得票数を8%伸ばし、共和人民党にトルコ全土で1%プラスの得票数をもたらした。クルチダルオール候補も共和人民党のデニズ・バイカル党首と同様に「トルコには2つの問題がある。それは汚職と貧困だ」とのスローガンで選挙活動をおこない、世俗―反世俗という緊張をはらむ問題には立ち入らなかった。有権者はこのスローガンを支持した。イズミルやアンカラの候補者らも共和人民党の票を伸ばした。共和人民党は、イズミルやメルスィンの広域市長の他に、デニズ・バイカル党首の故郷のアンタリヤの市長職をもおさえた。共和人民党がおさえた県の数は6つから10になった。沿岸部にある県では合計13人の共和人民党所属の首長が就任する予定だ。
民族主義者行動党は、1つの広域市と9県の首長選に勝利した。得票率を前回の総選挙である7月22日の得票率と比べて2ポイント増やして16%以上を獲得した。民族主義者行動党は、伝統的に勝利している中部アナトリアの都市のほかにバルケスィル、ウスパルタ、マニサのような西部の県や黒海地方東部のバルテュン、カラビュクやカスタモヌで躍進した。アンカラでマンスル・ヤヴァシュ氏が示した「勝利」は、イスタンブルやイズミルでは繰り返されなかった。メリフ・ギョクチェキ氏との選挙戦に敗れたものの、ヤヴァシュ氏は、アダナの候補者アイタチ・ドゥラク氏とともに民族主義者行動党のトルコ全土での得票数増加に最も貢献した人物となった。
トルコ政治においてここ数ヶ月の中で最も多く議論された単語は「解禁、融和」であった。しかし選挙結果を見るならば、公正発展党の「クルドとの融和」は、大方の予想に反して得票数に反映しなかった。公正発展党の「アレヴィーとの融和」は今回の選挙では試みられなかった。
■民族意識に訴える選挙戦略が票に還元した
民主市民党(DTP)は、従来抑えていたディヤルバクル広域市長の椅子を守った一方、バトゥマン、スィイルト、シュルナク、ハッキャーリ、ヴァン、ウーデュル、トゥンジェリで市長職を獲得した。「民族意識に訴える選挙戦略」を実行した同党は、南東アナトリア地方以外では存在感を示すことができなかった。県議会でも予想された様に5%をやや上回った。アール、ムシュやマルディンでは県議会で第一党の地位を獲得した。
■民主左派党は2県で優勢を保持した
民主左派党は、2つの県で「候補者一人」という選挙戦を戦った。トルコ全土で2.7%の得票率であった同党をはるかに凌ぐ、ある一定の得票率を獲得したエスキシェヒル広域市長のユルマズ・ビュユケルシェン氏とオルドゥ市長のセイト・トルン氏は、支持率50%でそれぞれの都市の各政党支持者から信任票を受けた。シャンルウルファのエシュレフ・ファクババ氏は、無所属候補として臨んだ選挙で、彼を公認候補者としなかった公正発展党に対して、自らの勝利を宣言した。
■民主党、祖国党に勝った
2002年選挙における「中道右派」である祖国党(ANAP)と正道党(DYP)は、大敗北を期した。祖国党は1%以下に落ち込んだ一方、スレイマン・ソイル氏が党首を務める民主党(DP)は得票率3.7%で、大半がトルコ西部のいくつかの地域ではあるが、党として勝利とみなしうる結果となった。ヤロヴァ県でも首長の地位を獲得した。
■ヌマン・クルタルムシュ氏は信任票を得た
公正発展党と袂を分かった「ミッリー・ギョルシュ運動」は、至福党の下で新代表のヌマン・クルトゥルムシュ氏とともに獲得した5.1%の得票率で士気が高まった。10%の最低得票率を当面の目標としていた至福党は、今後公正発展党に対する批判でもって注目されることになる。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:三上真人 )
( 記事ID:16108 )