コラム:カッザーフィー大佐の発言とアラブ革命諸体制の政治文化
2009年04月01日付 al-Hayat 紙
■ 「アラブ世界、2つの言説の間で」(連載「せめてもの一言」)
2009年04月01日付アル=ハヤート紙(イギリス)HP論説面
【本紙:ダーウド・アル=シャルヤーン】
ドーハ[アラブ諸国]首脳会議でリビアのカッザーフィー大佐がサウジアラビアのアブドゥッラー・ブン・アブドゥルアズィーズ国王に向けた最低限の礼節を欠いた演説は、[アラブ諸国]国王らの慣行と革命家らの軽率さの違いを明らかにするものだった。アブドゥッラー国王は6年間にわたってこの違いがもたらす苦渋を乗り越えようと試み、半世紀にわたりアラブ世界に存在してきた2つの政治的言説を比較するという苦痛がなくなるよう、寛容に次ぐ寛容をもって努力をしてきたが、軽率な方向性は、それを治療しようとする者の手に負えないものだった。
カッザーフィー大佐の演説と残念な姿勢は、その他のアラブ諸国の首脳や為政者らの口から様々な表現によって過去何十年もの間繰り返されてきた。サウジアラビアとアラブ革命体制との関係の歴史を振り返れば、過去のサウジアラビア国王は皆、同様の軽率な姿勢に直面してきたことがわかるであろう。サウジアラビア国王の慣行は常に、この次元の言説や振る舞いに対しては超然とした態度で臨むというものであった。しかし、サウジアラビアやアラブ地域が革命諸体制から蒙ってきた問題は、言説や言葉遣いの下品さに留まるものではなかった。
カッザーフィー大佐や、軍事クーデターやスローガンによって政権の座に就いた彼の先人たちや首脳たちの言説は、未だ地域全体を弄び、民衆の上に圧しかかる政治的な一時代を物語るものである。痛ましいことに、これらの体制のいくつかは支配中に過激な行動をとり、翻弄し、抑圧し、そして害を及ぼしたばかりか、自らが終焉した後にもその手法を残そうとしているのである。
抑制の効かないアラブ革命勢力の言説は、それらの体制の政治手法の表れである。もしも手法がその人物を物語るのだとすれば、世界に対して恥ずべき言葉で語りかける国家元首は、統治や政治に対して一体どのように取り組むことが予測されるだろうか?悲しいことに、この醜悪な政治的言説は何年もの時間を経て固定化し、この地域の政治文化の一部となり、マスメディアにまで広がってしまった。そしてアラブ人は、民族の歴史上かつてないほどの陳腐な言葉で自らと世界に語りかけるようになったのである。
それゆえに、取り沙汰されている[アラブ諸国間の]和解は、このような行動や言説が広まっている現状においては難しく思える。問題は政治的見解をめぐる対立ではなく、修復することも理解し合うことも最早できない文化に依拠しつづける諸体制を更生させるという、困難な試みなのである。カッザフィー大佐の演説の前には、バシール・スーダン大統領が世界を「靴」の下に踏みつける演説を行った。バシール大統領の前には、首脳らや諸政党の指導者らの口から様々な罵りが発せられた。怒った時に発せられる言葉が問題なのではなく、崩壊し始めた政治手法が問題なのである。このような言説との和解は不可能なことである。このような言説が拡大し、それを闘争や対決の手段の一部として誇る姿勢は、それらの体制の終わりの時が迫っていることを示している。これらの体制が消え去っていくのは何ら遺憾なことではない。放っておけばよいのである。
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( 翻訳者:平川大地 )
( 記事ID:16216 )