■シナイ半島では相変わらず女性の労働が受け入れられず
2009年04月26日付アル・アハラーム紙(エジプト)家庭面
【アミーラ・サラーフ・ヒラール】
シナイ半島北部のビイル・アブドとシャイフ・ズウェイドの町 では、糧を得るための手段として、都市部で売られる刺繍服や絨毯の商売に携わる女性たちが一部見られるものの、シナイ社会はいまだ、役所や民間企業で女性が働くことを拒否し続けている。そして女性が他人から給料をもらって働くことを、その賃金や収入がいくらであれ、恥だとみている。
シナイ沙漠問題の研究者で、シナイ市民人権人民委員会のメンバーでもある、『シナイ女性:ベドウィンの遺産と捕らわれの身の現状』の著者、アブドゥルカーディル・ムバーラク氏は、「ベドウィン社会はいまだ、女性が家から出ることや、交通機関を使うこと、仕事中に男女が同席することを拒否し、家の外で働く女性を劣ったものとみなしているためだ」と強調する。同様にベドウィン男性の気質として、社会から軽蔑されないよう、女性に養われることを拒絶する点も指摘した。
他方で男性は女性を、遊牧生活における一家の柱とみなしており、子供達の教育や世話を女性に頼っている。また、家族内での女性の仕事は、放牧、耕作、紡績、織物、刺繍の製作など、都市の家庭での仕事よりも明確化されて おり、こうした仕事は女性が置かれた社会状況を反映して、家から出ることを必要とせず、シナイ社会で支配的な伝統と合致している。
ムバーラク氏は、1967年から1980年までのイスラエルによるシナイ半島占領期間に、女性が抵抗運動に参加したことで、シナイ女性の役割は明確になったと指摘する。彼女達の参加は、抵抗運動に向けて息子達を肉体的・精神的に準備させたり、男達の決意を強めたり、食料や飲み物を準備したりすることに始まり、武器を運搬したり、戦士たちの足跡の上を家畜に歩かせたりすることにまで及んだ。だがこれは、外国の攻撃に直面したことで起きた例外的な役割に他ならない。戦争が終わるやいなや、女性の役割は限定的なものになった。加えて女性は出生証明書や身分証明書、婚姻証明書のような公式文書の多くを持たない。それが時として、多くの法的問題を引き起こす。また女性の教育状況は低く、投票などの政治参加は2%を超えない。
最後に研究者のアブドゥルカーディル・ムバーラク氏は、この状況を変えるため、大卒のベドウィン女性をベドウィン集落のいくつかの自治体長に選出するよう提言している。そうすることで、家の外での労働を妨げている社会のネガティブな伝統と習慣の壁を壊そうというのだ。
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( 翻訳者:平寛多朗 )
( 記事ID:16479 )