作家ヤシャル・ケマル「英雄にも、囚人にもならない」
2009年05月29日付 Radikal 紙

作家のヤシャル・ケマルは、「私の友人である大臣は、平和があるというが、私がクルド問題について書いたと言って、政府は、私を何年も有罪に処し、その後、英雄であると宣言した」と語った。これに対し、ギュナイ文化観光相は、「あなたの怒りは尤もだ。しかし、もう誰も自身の思想のために裁かれることはない」と答えた。

ボアズィチ大学で行われ、25ヶ国から50人を超える翻訳家と、世界の有名出版社の経営者と編集者らが参加した「翻訳者と出版者による第2回国際トルコ文学シンポジウム」において、ヤシャル・ケマルとエルトゥールル・ギュナイ文化観光相の間の会話が議題となった。

シンポジウムの特別ゲストであるヤシャル・ケマルは、開会式で行ったスピーチでトルコでは政治が悪いと語り、クルド問題に関して平和を呼びかけた。そしてクルド問題について執筆するだろうことを明らかにした。

ヤシャル・ケマルは次のように述べた:「我々の国を知らしめるものは文学だ。以前の政府はこれを理解できず、作家たちと敵対した。願わくば彼らも友好的になるだろう。ここに一人、私の古い友人がいる。周りの者は彼を文化大臣に押し上げ、私は驚いて、彼に言った、「いったいどうしたのだ、君は?」と。今のところ、いくつかのことは良い方向に進んでいるが、トルコには平和がない。平和はあると彼らは言う、私の友人である大臣もそう言っている。しかし、30年間、トルコの悩みの種である戦争は続いている。どんな国も、これほど恐ろしいことに遭ってはならないが、トルコは遭遇した。兄弟がその兄弟を殺している。そして、一度たりとも「この人は何を望んでいるのか?」とは問われなかった。「なぜ、この山々で死ぬのか、殺すのか」と問われなかった。一部の人々は、ちょっと覗いててみようといい、対立を煽る発言をしている。」

■「私はクルド問題について書こう」

「私はこのクルド問題を近く書こうと思う。実際これまでも書いたのだが。彼らは私に有罪判決を下した。平和を望む一人の人間が、有罪にされるものだろうか?1年5ヶ月の刑を受けた後、クルド問題について書いたためにさらに5年、私に有罪を宣告したのだ。こんなことがあってはならない!」

■「これらを黒い歴史として書くだろう」

「トルコの政治は悪い。自らを良い政治家にみせようとするとよいのだが。政治家たちは自分たちについて黒い台帳を書くだろう、黒い台帳を…。彼らは黒い台帳にかかれたことを歴史に残そうとしない。特別の黒い台帳は埋まるだろう。彼らはひとつの国家を災厄に遭わせたのだ。彼らの名前は記憶されないだろう。黒い台帳が紐解かれたとき、その中に彼らの名前がある。誰も、彼らを立派な人物とは見なさないだろう。時がそうさせるだろう。私は聖人ではないが、すべてがそのように示している、歴史はそう示している。ここには、今すぐにも平和がこなくてはならない。私は一人の作家だ。彼らは私を有罪にした。そしてまた有罪にするだろう。私はそれでも批判した。彼らは好きにすればいい。」

■「私を英雄と呼ばないでくれ、そうではないのだから」

有罪判決を受けたとき、私はアカデミー会員だった。それから、ある男が大統領になり、「ヤシャル・ケマルは英雄だ」と言った。私は演壇に登った。「私は英雄ではない」と言った。「英雄になりたくない」と私は言った。「世界中で、たった一つの言葉を嫌悪している。私は、友人たちにも親友らにも、私が嫌悪することを言うことはない。嫌悪という言葉をいかなる時も言ったことはない」と述べた。しかし、私は英雄も、英雄であることも嫌う。これは偽のものだ。もちろん英雄はいる。しかし、その英雄たちは我々がその名を知らない英雄だ。自らを誇示しない英雄たちだ。働く人は英雄であり、彼らは素晴らしい人間だ。そして、彼らは英雄とは呼ばれない。英雄とあなた方がいうものは、特権的な人たちだ。私を英雄と呼ばないように、何も言わないように。ただ人を愛することでいい。」

■ギュナイ「過去には抑圧的振舞いがあった」

エルトゥールル・ギュナイ文化相はヤシャル・ケマルのスピーチを受けて、NTV局に対し次のような見解を述べた:
「トルコでは、私が述べたいのは、1400年のティムールの征服ののち、アナトリアの地では1918年と1922年の間に、一度だけ戦争があった。その後、我々は征服されず、敵軍を見ることはなく、占領もされなかった。アナトリアの地には基本として500年に渡る平和がある。最近の四半世紀においては、非常に残念なことだが、不幸が起きている。我々はテロ事件と直面している。この地域では、昔、―いっておかなくてはならないのだが、私は特に9月12日体制を指して言っているのですが―、これらの過ち、この過ちへと引き摺り込ませるかのような好ましくない行動、政治の過ち、そして抑圧的振舞いがあった。しかし、今、我々はトルコ共和国の現政権を握る政府として、過去に誤りを犯したのが誰であろうとも、すべての過ちを帳消しにし、そしてトルコで平和を、すべての人々が幸せになる環境を再構築したい。そのためには、皆がテロに頼ることをもちろん諦める必要がある。

■皆、平和の手をとるべきだ

「トルコが平和になった時、トルコは東西南北共に、ハッキャーリからエディルネまでこの発展の恩恵を分かち合うだろう。私は文化観光大臣だ。例えば、東部と南東部には信じ難いほどの観光的ポテンシャルがある、しかし、これをテロのためにこれを利用することが出来ていない。我々はこれを悲しく思っている。しかし、テロがなければ、我々はそこで観光のポテンシャルを、他の場所のように引き出すことができれば、何千もの、何万もの若者が仕事を見つけられるだろう。暮らしは良くなり、正義が育ち、自由が育つだろう。そのため、平和を呼びかけることはまったく正しい呼びかけだ。我々はできる限りのことをしようと努力している。そして、だれもが平和のために我々が伸ばした手を、同じ誠実さをもってにぎりかえすことが必要だ。」

■「ファシスト的考え方の産物」

「ヤシャル・ケマル、オルハン・ケマル、ナーズム・ヒクメト、ネジプ・ファズルのような、右であろうと左であろうと、わが国の「考える人々」は、過去の年月において何と残念なことか、その思想のため、そして思想を表現しようとしたために重い代償を払った。これは、野蛮な時代の、古い頭の、狭い心のファシズム的考え方の結果だった。非常に残念なことに、トルコでは違う(政党の)名前、違う体制の下で、似通った政治が繰り広げられてきた。我々は、トルコを近代民主主義の基礎の上に確立すること、そして本当に、そこに自由主義、多元論主義の存在する国にすることを望んでいる。そのために、我々は文学、芸術において、禁止はなく、障害もなく、人がその思想のために批判されることがないよう望むのだ。」

■「彼の怒りは尤もだ」

「私はヤシャル・ケマル氏を何10年来知っている。彼が経験したことも知っているし、彼が書いたことも知っている。そのため、彼が怒るのもよく分かる。彼が1996年に受けた有罪判決について話している、私はこれら全てを知っている。しかし、今後、我が国でヤシャル・ケマル氏や他の作家、思想家たちが、彼らの思想のせいで罰を受けることのない環境でいきることができるよう、我々は出来るだけのことをしていると申し上げたい。」

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( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:16564 )